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起業適性テスト

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今の仕事をやめて起業する前に問うべき質問

フルタイムの仕事という安定を捨てて起業することは、危険が伴うことであり、多くのストレスがかかるものです。その大きな一歩を踏み出すにはいつが最適なのか、どうすればわかるでしょうか?今の仕事をやめる前に問うべき質問を、以下にあげます。

1. 現在の仕事がただつらい(不満、つまらない)だけではありませんか?
現在の職務に対して不満があるという理由だけで、起業したいと思う人がいます。綿密なビジネス・プランを立てることで、一時的な感情に任せた決断を避けることができます。今の仕事をやめたいという気持ちに加えて、成功する見込みのあるビジネス・アイデアと、マーケティングと経営に関する良いプランがなくてはなりません。計画を立案するときは、今の仕事と収入をできる限り長く維持しましょう。

2. 複数の役割を進んで果たすことができますか?
ビジネスを始めるということは、いくつもの帽子をかぶるようなものです。あるときは技術担当者、あるときは販売員、あるときは清掃スタッフとなるのです。ですから、今の仕事をやめる前に、「私は、マーケティングからメンテナンスまで、さまざまな役割を果たすことに対して不満を抱かないだろうか」と問うことが必要です。

3. あなたの強みと弱みは何ですか?
複数の役割を考慮するとき、自分の得意なこととそうでないこと(改善・向上させるべきこと)について、自分に正直になりましょう。プログラミングのスキルを強化すべきなら、そのスキルを持つ人を探してパートナーになってもらいましょう。

将来のお客様や競合は誰でしょうか?あなたが考えているビジネスのコンセプトに関わる市場について、すべてテストをすることはできないかもしれませんが、少なくとも、お客様は誰か、どんな競合がいるのか、理解しておくべきです。

4. あなたをサポートしてくれる人たちも乗車していますか?
起業へとスムーズに転換していくために、起業のプランを家族に伝えるべきです。ビジネスを始めるにあたって必要とされる代償や妥協も含めて、家族は応援してくれるでしょうか?起業のリスクについて、はっきりと話しましょう。ある人が起業をすると、その人の家族も何らかの影響を受けるからです。家族をはじめ、あなたをサポートしてくれる人たちが自分のアイデアを支援したがらないという場合は、今の仕事をやめることは考え直したほうがよいかもしれません。

5. バックアップがありますか?
起業する前に代案を用意しておけば、無防備なところを不意に襲われずに済むかもしれません。一時的にお金が必要なときに、パートタイムで何か仕事をすることができますか?または、フルタイムの仕事を新たに始めて、起業プランは保留にしておくことになるでしょうか?リクルーターや現在の(または過去の)雇用主などと関係を築いておきましょう。

6. 取り返しのつかない状況を避けるためには、どうすればよいでしょうか?
今の仕事をやめると決心した場合、その雇用主もあなたの起業を助けてくれるかもしれない、ということを覚えておいてください。突然退職するのではなく、良い関係のまま退職する方法を見つけましょう。


(出典: Dizik, Alina. “10 Questions to Ask Before Quitting Your Job to Start a Business.” Entrepreneur Magazine. March 13, 2013.)


弊社ビジネスクラブのメンバー様向けに、起業適正検査用の質問用紙もご用意しております。クラブに参加を希望される方は、こちらまでお問い合わせくださいませ。

(翻訳:渡部真紀子)

キャッチボールをするように

Speak と Talk の違いは何かと訊かれたら、どう答えるのがいいと思いますか?

中学生であっても、まじめに授業を受けている子なら答えられる質問かもしれません。
どちらも「言葉を発する」という意味の動詞でありながら、はっきりと使い分けられている単語です。

ジェイさんは広告やコピーの重要性を語る際に、次のようにおっしゃることがよくあります。
「あなたがつくった広告やコピーを見る人が大勢いるとしても、あなたはそのひとりひとりに話をしていることを覚えておいてください」
ここでジェイさんが使った「話をする」は、Speak と Talk のどちらだと思いますか?

Speak はフォーマルで、Talk はカジュアルだという説明をよく目にします。確かにそれは事実ですが、私個人的には、それより大きな違いが別にあるように感じています。
ある文献では次のように説明しています。
「Speak は一般的に、言葉を発する人だけにフォーカスした単語である一方、Talk は言葉を発する人と、その聴き手の両方にフォーカスした単語である」

ジェイさんは、広告や販促は一方的であってはならないというお考えで、そのメッセージを受け取る人と、いわば「会話」をしなければならない、と強調しておられます。
先ほどの質問の答えは皆さん、もうおわかりですね?

私は今のところ、コピーを書いたこともプロモーションを企画したこともありません。しかし、言葉をあつかうという仕事であることには違いなく、ジェイさんの語られることに少なからずドキッとさせられている自分がいます。
通訳の場合には、聴き手が目の前にいるかもしれませんが、翻訳の場合にはそのようなことはまずありません。自分が翻訳したものが読み手に届くのは、明日かもしれないし、1か月後かもしれないし、10年後かもしれません。
それでしばしば、読み手を意識して訳す、というのが難しく感じることもあります。「相手はどう読むかな」とか「何を感じるだろうか」ということを考えながら訳すというよりは、とにかく「意味がわかるかどうか」だけに集中してしまうことがあるのです。
広告やコピーに関しても、販売する側が言いたいことだけを一方的に伝えて、受け取る側の気持ちを無視するようなものになってはいけない、という意味で、ジェイさんはTalkという言葉をあえてつかっておられるのだと思います。それは相手の存在を確認しないままに投球するようなものではなく、キャッチボールであるべきだ、というメッセージが伝わってきます。

「翻訳をする」「コピーを書く」、そのほか「言葉を発する」という行為がなんと呼ばれてどんな目的で行われるにせよ、それを受ける相手を最大限に意識することの大切さを、ジェイさんに教わっているように感じています。
自分が訳す言葉ひとつひとつ、そして発する言葉ひとことひとことを、大切に考えたいものです。

(a_washiyama)


a.washiyama

a_washiyama:
ShimaFuji IEM 翻訳チームのメンバーです。
翻訳家としてまだまだ勉強中ですが、ジェイさんのお考えを分かり易く、正確にお伝えできるよう、邁進して参ります!

「プロセス」としての仕事

 

突然ですが皆さんは、自動車保険の対応に満足しておられますか?

 

と言ってもこれは、ある特定の保険会社を売り込むような話ではありませんのでご安心を。

あくまでジェイ・エイブラハム翻訳裏話です。

 

私の夫が昨年小さな交通事故に巻き込まれたとき、私は初めて保険会社とまともにやりとりをしました。

それまで知らなかったのですが(そしてどの保険会社でも同じかどうかはわからないのですが)事故に遭うと、「怪我に関する担当者」「自動車の損傷に関する担当者」など複数の担当者が付くことになり、私も3人の担当さんと連絡を取ることになりました。

最初になんとなく「私は○○担当です」という紹介を受けたような気はするものの、気が動転しているし、保険の仕組みもよくわからないし、私はしばしばそれぞれの担当さんに、関係のないことを質問したりしたようでした。

そのたびに「いえ、それは私の担当ではありませんので…」と、やや冷淡な口調で言われちょっと腹を立てたり、恐縮したりしたものです。

 

そんなときにジェイさんの動画を訳していて、

Process

という言葉が出てきました。

過去にも色々な場面で出てきた単語で、これを私たちは適宜「プロセス、過程、工程」などと訳してきましたが、そのときはなんとなく訳に迷ってしまいました。

そのときジェイさんはコピーライティングについて話しており、

「その商品がどのように人の役に立つか考え、それを人々の心に届くようなメッセージとして構成し、その商品を実際に買ってもらい、人々の役に立つ、という『プロセス』は、とても報いが大きいものだ」

という意味のことを、伝えようとしておられたのでした。もちろんこの全てを言葉にされることなく、そう伝えようとした、という意味ですが。

それで、字幕が出る時間が短いことを考え、また前後の文脈からもなんとなくそれが伝わるだろうと判断した私は、ざっくりと「その『仕事』は報いが大きい」というように訳したのです。

が…

プロセス=仕事 という方程式が、私にはどうしても不自然に感じました。もちろん、翻訳(特に字幕訳)では、全てを字義通りに、定訳通りに、訳すことはできません。しかし、私にはここで使われた「プロセス」という言葉が、とても大きな意味を帯びているように感じたのです。

もっと個人的な感情を言ってしまうと、「果たして自分は、自分の仕事を『プロセス』として見ているだろうか?」という疑問がむくむくと沸いてきたのでした。

翻訳という仕事は、実はかなり地味です。ひたすらにコンピューターに向かい、言葉と向き合い、その前後にあるものを忘れてしまいそうになることがあります。

自分に割り当てられた仕事、特にそれが専門性に特化している場合に、それに真剣に取り組む姿勢が悪いものだとは思いません。むしろ、日本人ならではの「職人気質」というか、こだわりを持って仕事に取り組む人を私は尊敬し、自分もそうなりたいと思っています。

しかしそれが、その場だけの、独りよがりのものになってしまう傾向は避けたいところです。

ほとんどのビジネスに、ジェイさんが言ったようなプロセスが存在していることでしょう。「どんな人の、どんな問題を解決できるか」「実際に使ってもらったときにどう感じてもらえるか」といったところから始まり、商品やサービスを提供し、それに対するフィードバックをもらい、商品やサービスに反映させる、といったサイクルです。それを無視して、自分の主観だけに頼って「良いもの」を作ったところで、人に対価を支払ってもらえるかと言うと、怪しいところです。もはや「仕事」と呼ぶことすらできないように思います。

特にサービス業などの場合、Service という言葉は文字通り「人に仕える」ことを意味しています。プロセスを意識してこそ、仕事として成り立つように思います。

そういえば「仕事」という言葉にも「仕える」という漢字が使われていますね。

自動車保険の対応を受けたときに、なんとなくこんな風に思ったことを思い出しましたが、組織が大きければ大きいほど、自分の仕事を「プロセス」の一部と見ることは難しくなるのかもしれません。仕事を分担しなければ、クライアントに満足してもらえるような質の高いサービスを提供することは難しいでしょうし。

それでも、自分の仕事を「プロセス」として見ることを忘れないでいたい、と私は思います。

小さなネジが大きな飛行機を支えたり、小さな歯車が大きな時計を動かしたりするのと同じように、小さな小さな自分も、大きなプロセスの一部であることを、常に意識したいものです。

(a_washiyama)


a.washiyama

a_washiyama:
ShimaFuji IEM 翻訳チームのメンバーです。
翻訳家としてまだまだ勉強中ですが、ジェイさんのお考えを分かり易く、正確にお伝えできるよう、邁進して参ります!

倫理的は論理的

ジェイさんの文章を初めて読んだとき、目を引かれたのがethical(倫理的な)という単語が何度も出てくることでした。

倫理的という言葉は、それほど日常的な言葉ではありません。政治家の汚職事件の際に言われる「政治倫理が問われる」といった表現や、犯罪報道の中で「倫理観が欠如している」などといった表現などで目にする程度でしょうか。

倫理とは、人が生きていくうえで、ある行為をすることが「よいか、悪いか」― 自分にとって、あるいは誰かにとって「有利か、不利か」「得になるか、損になるか」ということではなく、「人間としてこうすることが善であるのか悪であるのか」、という判断の基準となるものです。それが法律に関する文章などではなく、マーケティングの文脈の中で登場することに驚いたのでした。

やがてジェイさんが、マーケティングは非常に大きな力を持つものであり、その力をもってすれば、良いことも悪いこともできる、と述べておられる箇所にも行き当たりました。また別の文脈でも、繰り返し、「マーケティングは人をmanipulate(操る)ものではありません」と言っておられることも目にしました。

そのころ偶然、私は宮部みゆきの『ペテロの葬列』という小説を読みました。その中に興味深い人物が出てくるのです。

不幸な幼少期を過ごした頭脳明晰な登場人物は、世間を見返してやろうと、相手がどんな人間であるのかをたちどころに見抜く直観力と、持ち前の巧みな弁舌、カリスマ性を生かして、1970年代、怪しげな自己啓発セミナーのトレーナーとなります。そうして多くの人をだまし、詐欺の片棒をかつぐようになるのです。

それを見て、私ははっきりと腑に落ちたのです。だからこそ倫理的であることが必要なのだ、と。
同じように鋭い直観力と、適格な言葉の使用、カリスマ性を備えているジェイさんとその登場人物が、決定的に異なっているのは、まさにその点だったのでした。

小説の中にも「人を教え導くというのは、本来、非常に尊い技だ。難しい技でもある。そうそう誰にでもできることではない。だからこそ教育者には適性というものがあるはずだ。だが、適性だけでは道を誤ることがある。教育の目的の正邪を見極める良心を欠いてしまえば」という言葉が出てくるのですが、ジェイさんは個々人の心のはたらきというニュアンスの強い、いくぶん曖昧なところのある「良心」という言葉ではなく、もっと社会性の強い「倫理」という言葉を選ばれたのだと思いました。

では、自分の行為が「倫理的」に見て間違いがない、と担保するのは、いったい何なのでしょうか。

ジェイさんはあるインタビューの中で、このように話しておられます。

人生には3つの要素があります。倫理、公平、法律の3点です。法律というものは、法律家がちょっと変わった解釈をしたぐらいでは、変えることはできません。
しかし倫理と公平は非常に主観的です。私がいつも見極めたいと考えているのは、その企業や業界が、私の目から見て、理にかなった運営をしているかどうかです。

ここでジェイさんは「倫理的なビジネスを行っている企業は、理にかなった運営をしている」と述べておられるのです。

「倫理的な人」というと、私などはどうしても「雨ニモマケズ」に出てくる、宮沢賢治が「ワタシモナリタイ」といった人のことをつい想像してしまうのですが、その人の生き方は果たして論理的と言えるのでしょうか? この人は周囲の人々を幸せにすると言えるのか。また、持続可能性といった観点から見るとどうでしょう?(ちなみに宮沢賢治自身は土地改良に尽力したことが知られています)

以前、翻訳チームのメンバーが「翻訳裏話」の中で、ジェイさんの言葉を紹介してくれました。

あなたの会社で働く人は、あなたに一生を捧げているのです。彼ら、彼女らがあなたに必要とされていること、大切に思われていることを感じさせてあげなくては。シングルマザーの社員がいるのであれば、彼女のためにもっと何かできることはありませんか?彼女の息子さんのために何かしてあげていますか?(「commitment」)

先日のテレビ会議のセッションの中で、このジェイさんのアドバイスを実行に移した方から、アドバイスのおかげで利益が3倍にもなった、という結果報告があったのです。

倫理を論理的に実践することが大きな結果を出した、というまぎれもない実例がここにありました。

論理的とは、ちょうど1+1の答えが、誰がどこでやっても2になるように、三角形の内角の和が、いつでもかならず180度であるように、いつ、誰が、どこで行っても、かならずそうなるような、普遍的なことです。

嘘をつこうと思えば、自分以外の人が正直でなければ、嘘は成立しません。全員が嘘つきであれば、嘘はもはや嘘としての意味を失います。「犯罪は割に合わない」と言いますが、みんなが犯罪を犯し合っているような社会は、誰も長くは生きていられないことを考えると、この言葉は、倫理的にばかりでなく、論理的に考えてもその通りなのです。

自分だけが得をするような行為は、論理的とは言えませんし、逆に、自分だけが我慢する行為というのもまた、論理的とはいえません。
その意味でも「私は論理的な人間です」とおっしゃるジェイさんは、同時にきわめて倫理的な人でもあるのでしょう。

長い年月にわたって、一流のマーケターであり続けてきたジェイさんからは、マーケティングだけでなく、実に様々なことが学べると思うのでした。


ハットリサトコ
ShimaFuji IEM 翻訳チームの一員です。

神は細部に宿る、という言葉は、まさに翻訳のためにある、と信じ、言葉ひとつひとつと格闘する毎日です。残念ながら、木を見て森を見ず、どころか、葉っぱ1枚の葉脈に目を奪われて、森の存在を忘れることもしばしば。

集客を考えるときはマーケティングと「善悪」を切り離そう

こんにちは、トイアンナです。
マーケターとして仕事をしていると、たまに「天才だ」と思わされるマーケターに出会います。たとえばドナルド・トランプは天才の一人です。正確に言えば、ドナルド・トランプのバックにいて、彼の原稿や発言を管理している有能な秘書たちでしょうか。

トランプ大統領は就任直後、いきなりイスラム教徒が多い国籍保持者を入国拒否しました。数百万人単位のデモを起こし、世界中で混乱と批判を浴びているトランプの何が天才なのか?と思われることもあるでしょう。

しかしアメリカ国民に対して行われた調査では、トランプの入国拒否手続きを支持すると答えた層が反対を上回っています。

彼にとって一番重要なのは自国の支持率を維持することですから、いくら裁判所がNOを付きつけようが、目的を達成するために正しい戦略を取ったと言えるでしょう。

彼のしたことは現場の担当者へ大混乱を招きましたし、何よりビザを持つ人間すら拒否したため裁判所から合衆国憲法違反と判断されました。さらに何も悪いことをしていないのに空港で追い返された多くの人を傷つけたという意味で「正しい」「正しくない」の天秤にかけるなら「正しくない」と感じる方も多いはずです。私もリベラル寄りなので政治的信条からすると彼の行為は絶対に許せないことです。

その一方、マーケティングという目線で語るなら彼の戦略はあまりに的確で、舌を巻きます。

マーケティングでは「正しさ」を問わない

マーケティングは「正しさ」「正しくなさ」に関係なく目標を達成するための道具です。
ところが自社のマーケティングや集客を考える上で、まずは頭を柔らかくしてどんなアイデアでも自由に出してみましょう――と言われても

「これはウチのポリシーに反するから」
「いくら売上のためだからってこれはできないよ」

と、「正しい」「正しくない」でアイデアの幅を狭めてしまう方が少なくありません。特に同じ業界で長くお勤めなら慣習やしがらみもあり、なかなかこれまでのやり方を無視できないはずです。

けれど、思いもよらないマーケティング戦略は正しさやしがらみ、常識から外れたところに生まれます。たとえば機能が劣ってもいいからカッコいい動作を追求しようと、携帯電話業界の常識を無視して登場したのがiPhoneです。iPhoneにはデコレーションメール機能や着メロの音質といった「当時ガラケーの会社が当然備えるべきと考えた機能」は何一つありませんでした。

iPhoneが海外製品だったから勝てたというわけではありません。日本の例ですと、雑誌なのに「読まれなくていい。付録目当てで買ってもらう」という新しいコンセプトで爆発的に売上を伸ばした女性誌『InRed』があります。男性に身近なケースでは、ビールなのにアルコール分ゼロを売りにしようという新しい発想で生まれたのが『キリンフリー』は記憶にあるかと思います。

「正しい」「正しくない」やこれまでのしがらみを一度すべて忘れ、新しいアイデアを出すことで大ヒット商品は生まれてきました。

このように型にハマらないヒットの卵を産むためにはスティーブ・ジョブズ並の天才社員、もしくは何でも提案できる社風づくりが欠かせません。「とんでもないこと言い出しやがって」と部下を叱る前に「待てよ、もしかすると面白いかもしれない」と一度採用してみる。こんな心意気が、ヒット商品へ繋がります。

「どうすればできるか」を考える

さて、企業によっては「スティーブ・ジョブズ型の天才ばかりを雇用する」ところもあるかもしれませんが、アイデアを出しやすい仕組みづくりを行う企業の方が日本では多く見られます。そのため多くの企業がボーナス付きのアイデア公募制度を用意しています。公募制度を実施する際はボーナスだけでなく、社内で不利益を被る人が出るアイデアでも投稿者が報復人事にあったり、嫌がらせをされたりしない仕組みが必要です。

アイデアを全社員が出しやすい土壌を作ったところで、次に常識破りの面白いアイデアが出てきたとしましょう。しかしそのまま世に出してはトランプ並みの波紋が業界へ起きます。また、奇抜なだけのアイデアは話題こそ呼ぶものの実際の集客へ繋げるのは難しいものです。

そこで、まとまった時間を取ってからアイデアを並べ、「どうしたらアイデアを活用して集客を実現できるか」「どうしたらしがらみや慣習を突破できるか」を考えてみるのが、マーケティングのやり方です。

面白いアイデアの中から、目標(売上・利益)を達成できそうなものを選び、さらに業界からも「最初はびっくりしたけど、ありゃ面白いね」と言われるサービスや製品をこの世へ出せるかには、会社としてどこまでリスクを取れるか覚悟が求められます。

冒頭のトランプであれば「たとえ大反発を招いても、支持率を稼げるなら目標達成だ」と判断し、リスクを取ったと思われます。トランプほどの反発を招く行為は私が御社のマーケターならオススメしませんが、それくらいの胆力があればどんな「正しさ」も超えて優れたマーケティングアイデアを出せるはずです。まずはアイデアを出せる制度作り、御社で考えてみませんか?

トイアンナ「マーケティング深化論」目次


トイアンナ:

大学卒業後、外資系企業にてマーケティング業務を歴任。
消費者インタビューや独自取材から500名以上のヒアリングを重ね、
現在はコーチングやコラム執筆を行う。

ブログ:http://toianna.hatenablog.com

新著に『恋愛障害 どうして「普通」に愛されないのか?』(光文社新書)

新・日本語

福沢諭吉と言えば、どんな人物を思い浮かべますか?
啓蒙思想家
慶應義塾の創設者
一万円札の人
どれも正解ですが、彼は偉大な「翻訳家」でもあります。

それは幕末。鎖国が解かれて外国文化・外国語が日本に入ってくると
困った事態が生じました。
Mountainなど、対応する訳が存在していた単語もありましたが
多くの言葉には、その概念自体が日本に存在しませんでした。
福沢諭吉はそんな中、多くの「新・日本語」を創造していったそうです。
例えば「自由」という言葉も、日本語として採用したのは彼なのだとか。

あるとき、福沢諭吉が「権利」という日本語訳に猛烈に
反対したことをご存知ですか?
自分の「利益」を意味する「利」という漢字を用いるべきではない、
不変の真理や道理を表すものとして「権理(そして通義)」とすべきだ、と
強く申し立てたそうです。
あくまで「権利」とするのであれば、未来に禍根を残すことになるとも
おっしゃったとか。
確かに、自分勝手なわがままが「権利だ!」と主張される現在
それは的を射た指摘だったように思えてなりません。

「言葉は生き物。しかも、魔物…」と私は日々感じています。
実際に、毎年のように新しい言葉が日本語として採用されて
有名な辞書にも載るようになるほど。
人間が使うようになってこそ言葉は「生きる」ようになるわけですが
ときにはそれが人間に作用を及ぼすようにも思えてなりません。

ジェイ・エイブラハム師は、たくさんの造語を生み出しています。
Relational Capital
Proprietary concept
など、翻訳の際に頭を抱えた造語は少なくありません。
いずれも、非常に道徳的だったり、概念自体は日本に昔から
存在するものだったりするだけに、難しさを感じます。

「きっとジェイさんの考えが日本でも広く受け入れられて
ジェイさんの造語が一般的な日本語として使われる日がくる」
そう思う私は、翻訳する者として、思い責任を感じます。
それは、ジェイさんのお考えの本質をできる限り正確に伝えられる
相応しい言葉や漢字を、何千何万の中から慎重に選んで
組み合わせていく作業です。

苦しいときもありますが、一万円札を見るときに、私は思うのです。
短期的な見方で「よさそう」な訳に飛びつく翻訳者ではなく
苦しくてもしっかり言葉と向き合って
その本質を伝えることのできる
強い翻訳者になっていきたいものだと。

(a_washiyama)


a.washiyama

a_washiyama:
ShimaFuji IEM 翻訳チームのメンバーです。
翻訳家としてまだまだ勉強中ですが、ジェイさんのお考えを分かり易く、正確にお伝えできるよう、邁進して参ります!

Commitment-コミットメント

昨年12月には、ジェイ・エイブラハム師来日セミナーのスタッフとして
イベントに参加させて頂き、とても刺激的な時間を過ごさせて頂きました。
もちろんセミナーの内容も素晴らしかったのですが、個人的にとても心に残ったのは
ミーティングのときにジェイさんがおっしゃった一言です。

「あなたの会社で働く人は、あなたに一生を捧げているのです。彼ら、彼女らが
あなたに必要とされていること、大切に思われていることを感じさせてあげなくては。
シングルマザーの社員がいるのであれば、彼女のためにもっと何かできることはありませんか?
彼女の息子さんのために何かしてあげていますか?」

通訳しながら思わずほろりとしてしまいました。

イベントで感じたことを書き出していけばキリがありませんが、
ここは「翻訳裏話」を共有する場ですので本題に移りたいと思います。

「一生を捧げている」と私が訳した言葉ですが、ジェイさんはcommitという単語を
お使いになったと記憶しています。
「結果にコミットする」とか「コミットメント」などの言葉を、最近では耳にするように
なりましたが、私はこのcommitmentの訳に悩むことがあります。

辞書で引いてみると、「献身する」「約束する」「決心する」という訳も出てきますが…

「結果に献身する」「結果を約束する」「結果を出すことを決心する」
どれもちょっと不自然なような…

だからこそ「コミット」とか「コメットメント」がカタカナで使われるように
なったのでしょうけど、なんだか言葉の重みが伝わらないような気がするのです。

Commitmentの語源を調べてみると、
Com「共に」または「いっさいを」+mittere 「送る」
という意味だそうです。
「ある事柄に、自分を送り込む」つまり「自分の身を捧げる」という感じでしょうか?

そう考えると、「約束する」とか「決心する」という訳ではしっくりこない理由が見えてきます。
それは、頭・心・体の全てを捧げる、という意味の言葉でなければならないからです。

一番近そうな言葉は…「献身」?
なんだか戦国時代みたい…と感じるのは私だけ?

「これだ!」という訳が見つからず、未だに模索中です。
その都度、文脈を見て一番良いと思える単語を当てていますが、ジェイさんの言葉の重みが
きちんと伝わるように努力を続けていきたいと思っています。

ちなみに、Company、つまり「会社」の語源ですが、
Com「共に」+panis「パンを食べる」
という意味だそうです。「同じ釜の飯を食う」と日本語でも言いますが、
「生きることを共にする仲間」という意味であることが分かります。

冒頭で紹介したジェイさんの一言ですが、まさに、この精神を示しておられると思いませんか?

(a_washiyama)


a.washiyama

a_washiyama:
ShimaFuji IEM 翻訳チームのメンバーです。
翻訳家としてまだまだ勉強中ですが、ジェイさんのお考えを分かり易く、正確にお伝えできるよう、邁進して参ります!

人は城、人は石垣、人は堀

ジェイ・エイブラハム氏の哲学を深く考えるとき
私の頭に浮かんでくる1人の人物がいます。
それは、500年前の日本を生きた
名高い戦略家 武田信玄です。

戦国時代の日本は、それはそれは殺伐としており
親兄弟間の殺し合いすら、日常茶飯事だったとか。
あの織田信長が実の弟を討ったことは有名な話ですね。

信玄も父を追放し家督を継いではいるものの
毎年のように多額の仕送りをしていたそうです。
信玄はまた、独裁者ではなく
家臣との戦略会議をよく開いたといいます。
また、当時としては非常に珍しく
身分によらず実力のある者を進んで招き入れる
そんな 器の大きい人物でもあったとか。

そんな信玄の、数ある名言の中にこんなものがあります。
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは見方、仇は敵なり」
信玄が家臣をとても大切にしていたことが伺える一言です。

ところで、
「なぜジェイ・エイブラハムの翻訳裏話で武田信玄なの?」と
皆さんうすうす疑問に感じていることでしょう。
いよいよ本題です。

“Team”

この一言をどう訳すか。
これに、私たちは迷ったことがあります。

「え?普通に『チーム』じゃダメなの?!」
と、多くの方が疑問に思われることでしょう。
ときにはこんな、何の専門用語でもない一言を訳すのに
私たちは多いに悩むことがあります。

それは、スタートアップを考えている人たちに向けた
動画の字幕を訳していたときのことでした。
ジェイさんは、スタートアップをする人が今後雇う人材を指して
“your team”と言ったのでした。

もちろん「チーム」という言葉は日本語でも普通に使われているけれど…
一般的に日本人が「チーム」という言葉を聞いて
頭に思い描くのは、ビジネスではなくスポーツなのでは?

そう、スラムダンク、キャプテン翼、はたまたアタックNo.1のような…
とにかくその言葉には、友情、涙、熱血、団結といったイメージが
付いて回るものではないでしょうか。

「では英語のteamは違うの?」というと
そんなことはありません。
ただし、大企業、中小企業に関わらず
また上司や部下が入り混じっているかどうかに関わらず
一緒に仕事をする仲間を“team”と呼ぶのは
ごくごく普通のことと言えます。

でも日本では違うのではないか、と私たちはふと思ったのでした。

文字が何秒かのうちに現れて消えてしまう字幕の場合には
言葉のイメージが非常に重要です。
ここで「チーム」という言葉を使って、
スラムダンクを連想させてしまって良いのか?!

ではどうすれば?
いくつかの提案がありました。
「スタッフ」「従業員」などの訳を当てようかと。
もちろんそれでも意味が通る訳にすることはできました。

が…

結局のところ私たちは、敢えて「チーム」という訳を選びました。
ジェイさんがそのとき伝えたかったのは
まさにスポーツのチームに関して私たちが連想するような
「心のつながり」だと思ったからです。

ジェイさんの卓越論からは
「人を敬って、大切にすればするほど、自分の得るものは大きくなる」という
メッセージが伝わってきます。

なんだか私は、先ほどの信玄の名言を思い出すのです。

日本企業の間でも「チーム」という言葉と考えが
もっと浸透していくといいな~と
そんな願いを込めて訳を選んだ、島藤翻訳チームでありました。

(a_washiyama)


a.washiyama

a_washiyama:
ShimaFuji IEM 翻訳チームのメンバーです。
翻訳家としてまだまだ勉強中ですが、ジェイさんのお考えを分かり易く、正確にお伝えできるよう、邁進して参ります!