200ドルで起業したライフ・イズ・グッド社
インタビュアー:レイ・ブキャナン
会社:ライフ・イズ・グッド社
創設者:バート・ジェイコブズ、ジョン・ジェイコブズ
初期投資額:200ドル (約2万円)
使用先:無地Tシャツ、スクリーンプリンティング、路上販売許可
その後、中古バンとコンピューターに4,600ドル
2014 収益: 100万ドル以上 (約1億2000万円)
バート・ジェイコブズ:
ことを起こすのは簡単ではない、と最初に言っておきたいと思います。
もしかしたら、自分のビジネスに夢中になっている人の気持ちをくじくかもしれません。
現在の頭の切れる起業家なら、私たちが起業のために6年かけてしたことを、
ウェブサイトを使って半年ほどで準備してしまうでしょう。
もし今のような技術があれば、私たちだってそれを使っていたにちがいないのですから。
その代わり、ストリートバスケで知り合った従業員と一緒に、私たちは何年もかけて会社を作りました。
ストリートで、パトロール警官にじろじろ見られながら、顧客とジョークを言い合ったり、
東海岸のありとあらゆる小売店に出向いては、アドバイスをもらったりもしました。
もちろん、効率的な段取りというのとは、ほど遠いものです。
でも、私たちの会社の価値の多くは、 安いこと、対面であること、
という初期の時代の必要性から生まれたのです。
人は頼めば聞いてくれる
ジェイコブズ・ギャラリーは、ライフ・イズ・グッド社の前身です。
弟のジョンと私は1989年に旗揚げしました。
当時、私は24歳、弟は21歳。 兄のアランから200ドルを借りました。
ジョンと私は、アートやデザインすることが大好きだったので、
Tシャツは、生計を立てるための最初の一歩としては、良い考えだと思えたのです。
始めたばかりの頃、学んだことのひとつは、愛想を良くして頼むことを怖れさえしなければ、
たいていの人は頼み事を聞いてくれる、ということでした。
地元のスクリーン印刷の会社は、無地のシャツにプリントする料金を、
500枚あたり5ドルのところ、 もし私たちが12枚あたり7ドルで支払うならば、
支払いを60日間延ばす、という約束に合意してくれました。
つまり、私たちの仕入れ先が、実質的に私たちに資金提供をしてくれたようなものです。
やがて、ジェイコブズ・ギャラリーがライフ・イズ・グッド社になり、
量販に踏み出したとき、 私たちは倉庫として使用するために、
可動式の貯蔵庫を月額30ドルで借りました。
スクリーン印刷会社の駐車場にその貯蔵庫を置き、
電気コードをビルの中から引っ張ってきて電気をつけ、
夜に仕事をしてもいいかどうか尋ねました。
印刷会社は、そのときも、いいよ、と言ってくれました。
最初は街角での手売りから
最初のうち、私たちは直接販売をやっていました。
街角にテーブルを出して、準備をします。
1年間有効のマサチューセッツ州の路上販売許可を取るのに25ドル、
ボストンでの許可証に15ドルかかりました。
こうした許可証は、最高のロケーション(たとえばハーバード・スクウェアや
ファニエル・ホールのような場所)では認められていなかったのですが、
ともかく私たちはどこででも売りました。
私たちのうち片方が、警官に気をつけていて、その間にもうひとりがテーブルのTシャツを売るのです。
私たちは地元の昔ながらの店をやっている人たちと仲良くなっていたので、
その人たちから苦情は出ませんでした。
私たちは、ひとりずつ、お客と顔を合わせながら売っていきました。
できるだけ多くの人から、好きな色やデザイン、嫌いな色やデザインを聞いていき、
その返事をノートに書き留め、ノートはつぎつぎに溜まっていきました。
今なら、オンライン・ツールを使って、お金もほとんどかけずに、
もっと大勢の人の好みを調べることができます。
けれども、当時私たちがお客とおしゃべりしながら学んでいったことよりも、
はるかに幅広いデータを集めることができるのでしょうか?
私の中の一部は、イエス、と言います。
でも、ノー、と考えている自分もいます。
当時、私たちのブランドと、顧客の間には、まったく距離がありませんでした。
もし火曜日に売りに行って、10人の人が、このデザインがいいね、と言ってくれたとする。
そうすれば、私たちは水曜日にもっとプリントするでしょう。
いまではどこも旧式のこのやり方に、なんとかして近づけようとしているではありませんか。
町から町へ
大学にまで販路を広げていくことを決めたときは、
大学案内を買って、私たちとよく似た体型の学生たちに、数多く会えるような場所を探しました。
私たちのバンは、ちょうど2,200ドル。
もうひとりの兄のエドがカー・ディーラーのライセンスを持っていたおかげで、
オークションで手に入れることができたのです。
寝るのと、在庫調べの場所を確保するために、 後部座席は取り除き、160ドルで売却しました。
こうした遠征は、調査をかねたものでもありました。
私たちは途中にある多くの店で停まり、
商品がどのように並べられているか、
何が今よく売れているのかを見て回りました。
これもまた、オンラインでの調査と比べれば、ひどく非効率なものです。
けれど町から町へと旅することで、こ
うした家族経営の店の店主たちが教えてくれた商品と商いの秘訣について、
ジョンと私は徹底的に話し合うことができたのです。
こうやって学んだことは、何よりも長続きするものです。
”Life Is Good.(人生はいいものだ)”
ジェイコブズ・ギャラリーはかろうじて収支が合う程度でした。
ですから1994年までは、ジョンも私も、仕事が終われば美術学校で
デザインを教える代理教員をやって収入を補っていたのです。
私たちの所持金はとうとう78ドルまでになっていました。
そのとき、ちょうどジョンが、私たちのマスコット、ジェイクを考え出したのです。
ジェイクは楽天性を体現しています。
そのとき、私たちは “Life Is Good.(人生はいいものだ)”
というスローガンを思いついたのです。
このシャツはストリートで大変よく売れたので、私たちは大量販売にトライしてみることに決めたのです。
これが、私たちにとってのテイク・オフとなりました。
私たちのアパートをオフィスに変え、ほとんどの家具を売って、 そのお金で中古の机とテーブルを買いました。
私たちの最初の従業員は、ケリー・グロス、上の階の住人で、今ではパートナーです。
1本の電話回線で間に合わせるために、私たちは天井に穴を開けて、
ふたつの部屋に電話線を渡しました。
私たちの最初の大きな買い物は、マッキントッシュ・コンピューターです。
1995年当時、2,400ドル前後でした。 ケリーが経営のために必要だと言ったのです。
さらに、ジョンと私に、デザインに使うことができることも教えてくれました。
私たちは、冗談じゃない、と言ったものです。
コンピューターを使うアーティストなんて、ニセモノだよ、と。
とはいえ、私たちはなんとか使い方を覚え、決して後戻りはしませんでした。
もし今、ビジネスを始めるなら、私たちは絶対に、良いデザイン・ソフトウェアに投資するでしょうね。
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もうひとつ、今、起業するなら。 2,000-3,000ドルを使って、
楽観主義の力を描き出す、魅力的な実話を見つけて、 ビデオを作りたいと思います。
そうしてその物語をシェアするために、みんなを招待するんです。
テクノロジーは、私たちが人と出会うことを助けてもくれます。
でも、それは、人が元気になるチャンスを与えるようなものとして 使わなくてはならないと思っています。
元記事:http://bit.ly/1FVbxIr
(翻訳:服部聡子)