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大切なのは売上?それとも評判?

by サイモン・シネック

 

 

「娼婦」を、お金のために自分の評判を犠牲にする人、と定義することもできるでしょう。

けれども他の誰かが何かを売って、その結果、あなたの評判が傷つけられたとしたら、

どうすればよいのでしょうか。

このようなリスクは、第三者に販売をまかせる会社なら、起こりうるものです。

フランチャイズや自動車ディーラー、代理店、系列会社などは、

それぞれ独立業者ですが、ほかの人の評判に影響を及ぼします。

たとえば地域航空会社のサービスが悪かったとしても、

それによって被害を被るのは、その会社やブランドではなく、

飛行機の横にブランドの名前が書いてあるデルタ航空やアメリカン航空なのです。

 

この自動車ディーラーでの出来事も、そのひとつです。

私は先日、マンハッタンのとある販売店で、極めて不快な経験をしました。

 

私はある車を買おうと、ワクワクしながら販売店に入っていきました。

そうしてすぐに契約をすませたいことを告げました。

すでにその自動車メーカーのウェブサイトで価格も見てきている、

それを喜んで払うつもりだ、とまで行ったのです。

値引き交渉はしない、とも。

4時間後―そうです、さんざん不快な思いをさせられた4時間後、

結局のところ最初に私が払うと申し出た、元の価格が提示されました。

その途中で、支店長は私にひどく失礼な態度を取りました。

私をバカ扱いし、とんでもない価格まで値段をつり上げ、

嘘をつき、だまし、早口でまくしたて、

まさに型どおりの中古車ディーラーのやり口を披露したのです。

私が聞かされた不愉快な話は省略しますが、こう言われたことだけは書いておきましょう。

「ボスに聞いてみたのですが、ご希望の値段で提供してもいい、とO.K.が出ました」

私と話をしている間に、彼女が1度も中座しなかったことを除いては、

いい話なのかもしれませんが。

その結果がどうなったか。

私はいらだち、腹を立て、落胆していました。

ワクワクしていた気持ちは、霧散していました。

そうして車を取りに行った時ですら、私の興奮は戻ってきてはいましたが、

彼らは1時間半も待たせたのです。

私が前もって電話をかけ、納車の時間を確認していたにもかかわらず。

そうして、私が楽しみにしているかどうか尋ねて、

新しい車のオーナーになる期待感を膨らませる代わりに、

私のために「苦労させられた」けれども、少しも金儲けしようとは思わなかった、

と、彼らの優先順位がどこにあるか、はっきりと示してくれたのです。

この販売店の関心事はたったひとつしかなかったのです。

それは、売上です。

一層悪いことに、表にかかっていたのは、彼らの名前ではありませんでした。

誰がその販売店のオーナーであるにせよ、彼にとっては痛くもかゆくもないのです。

私が誰にもその販売店を推薦しない、ということを除けば。

打撃を受けるのは、自動車メーカーなのです。

 

どこかよそで買えばいいじゃないか、と思うかもしれません。

ところがマンハッタンで駐車場ビルのある販売店は、そこだけだったのです。

もしその地域に他の販売店があれば(私はチェックしましたが、ありませんでした)

私もどこかよそで買っていたでしょう。

けれどもニューヨーク市内での駐車料金というのは、実は一大事なのです。

事実、高い駐車料金を全額払うことを思えば、

車のことでひどい扱いを受けることさえ引き合うほどに。

その販売店は、儲かっています。

マンハッタンの住人で、その車種がほしい人にとっては、

たとえよそにもっと良い販売店があったとしても、

そこで買う以外に選択の余地はありません。

その販売店は、自分たちの販売台数を自慢し、

北東部で最高のディーラーであるとも言っていました。

彼らにとってはそれが良いことであっても、

残念ながら自動車メーカーのブランドにとっては、

そうして顧客にとっても、災難以外の何ものでもありません。

公平を期して言うと、私がこの販売店がブランドを傷つけているとツイートすると、

自動車メーカーの方から、何が起こったか知りたいと、すぐに連絡が来ました。

まだ話し合いは行っていませんが、近いうちにするつもりでいます。

 

売上と評判のどちらが重要か、という建前が本当に試されるのは、

つぎにどうなるか、ということです。

その自動車メーカーは、最初のダメージを取り返そうとしています。

問題は、実際に北東部のどこよりも多くの売上を出している販売店であるとすると、

彼らのブランドや評判に与えた被害はより深刻なものになるのではないか、

ということです。

そのことは、時間が経てば、明らかになっていくでしょう。

私たちが自分の代わりに第三者を使う場合には、

かならず彼らを、彼らの基準ではなく、私たちの基準に従わせなければなりません。

彼らには資格が必要ですし、

私たちがこれまで築いてきた評判と商品を守るために、

一生懸命働かなければならないのです。

お金を儲けることと引き替えに、私たちの評判を守り、それを前進させることを

約束させ、着実に実行させなければなりません。

 

しかしながら親会社が、販売店や系列会社の販売数にかかわらず、

彼らに責任を持たせることができなければ、

結局のところ、このゲームにおいて、彼らをヒモにしてしまうことになります。

そうして私たちは薄汚れ、安っぽく、使い古されたように感じ、

二度と街角に立とうとは思わなくなるのです。

 

 

 


元記事:http://bit.ly/1XX9oS9

(翻訳:服部聡子)