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戦を略する

紀元前500年前後に中国で活躍した武将、孫子は

それまでに人々が考えていた「戦とは何ぞや」という

概念をひっくり返したと言われています。

それまでの時代には、戦の勝敗は天命が左右するものと

考えられていたそうです。

孫子は過去の戦を分析し、戦法を書にまとめました。

その中でも特に有名な概念は

「戦わずして、勝つ」というものです。

これが「戦略」つまり「戦を略する」という考えに

つながっていったものと考えられているそうです。

「戦わずに勝つなど、卑怯な!!」

と、思ってしまいそうになる私ですが

これは日本人固有の感覚でしょうか。。(武道の影響とか?)

でもよくよく考えてみるとそれは、スポーツの話でもなく

ゲームの話でもなく、多くの人命が関わる戦の話です。

避けられるのであれば戦いを避けるのは真っ当と言えます。

ジェイさんはよく”Strategy” (「戦略」)という言葉を用いますが

ShimaFuji IEM翻訳チームでは長いこと

この言葉の訳に悩んできました。

もちろん、ジェイさんが語るのは戦ではなくビジネスです。

色々な専門用語を使われる師ですが、軍事用語は

その中でも特に多く使われています。

しかしながら、軍事用語とジェイさんの思想が

相容れないような気がして、私はなんとなく違和感を

感じてきました。

師の考えや方法論は攻撃的なものではなく、

むしろ人間の本質や、ロジックに基を置いています。

それはゲーム感覚で人を操るものでもなく、

むしろ相手を尊重し、その気持ちに寄り添うものです。

そんなときに孫子が言うところの「戦略」つまり

「戦を略する」という考えを知って、腑に落ちました。

孫子は、己を知り、相手を知ることが戦のカギを握る、と

説いています。

そのようにしてはじめて、戦の規模を最小限に抑えて勝つための

出方を知ることができると。

ジェイさんがいつも「自社や競合が、何をどんな動機で

どのように、誰に向けて行っているのかを分析しなさい」と

仰っているのを思い出します。

孫子においても、ジェイさんにおいても

それは「ラクして勝とう、ラクして儲けよう」という

考えとは真逆の思想です。

それはむしろ、損失や疲労を最小限に留めながら

成果をあげるために、よく学びよく考える、という部分に

重きを置いているように思えます。

同時に、「戦略」の第一歩が把握と分析から始まることも

分かります。

ちなみにこの孫子は、冷淡な一面もあったことで

知られているようですが、現代の戦略家・ジェイ師に

冷淡さは感じられません。

ミーティングで大切な話をしている途中でいきなり

「真澄の眉毛はキュートだね!」と言ってきたりと

お茶目な一面に、いつもほっとさせられている私です。

(a_washiyama)


a.washiyama

a_washiyama:
ShimaFuji IEM 翻訳チームのメンバーです。
翻訳家としてまだまだ勉強中ですが、ジェイさんのお考えを分かり易く、正確にお伝えできるよう、邁進して参ります!

お客様目線

ビジネスでは、商品開発からマーケティング、販売、フォローアップまで、「お客様目線」で考えることが大切だと言われています。

昨年12月に行なわれたビジネスサミットと経営塾に参加しているとき、「お客様目線」という言葉が頭の中に何度も浮かびました。ジェイ・エイブラハム氏がお客様、つまり参加者の立場に立って常に行動していたからです。今まで翻訳してきた文章の中で何度も「クライアントの立場に立って」という言葉がありましたが、これほど徹底的に実践しているのを目の当たりにして、その言葉の重みを強く感じました。

たとえば、参加者の理解度を常に確認しながら話していたことが印象的でした。講演中に話がひと区切りつくと、「ここまでの内容はわかりますか」と参加者に問いかけていました。あまり反応が見られないと「わからなければ首を横に振ってください」と呼びかける場面もありました。

また、エイブラハム氏が関わってきた世界各地のさまざまな業種の実例をあげて説明し、「参加者のみなさんが自分のビジネスで実践できることを持ち帰ってもらいたいのです」と言って、参加者が行動を起こすように促していました。

休憩中には、私たちスタッフに「内容はどうだったか」「参加者の反応はどうか」と必ず尋ねてきました。また、そこから派生して、日米のリアクションの違い、教育システムの違い、言葉の構造の違いなどについて話し合うこともありました。

そして休憩後は、参加者やスタッフのフィードバックに合わせて話す内容を変えていくのです。たとえば、参加者にあまりなじみのないコンセプトを話したときは、具体的な例を含めてもう少し説明してから次の項目に移っていきました。

このように、すべての言葉や行動が参加者の立場に立って生まれたものでした。ジェイ・エイブラハム氏の「クライアントの立場に立って」という言葉を身にしみて理解できたと同時に、世界トップのビジネスコーチのこの真摯な姿勢と柔軟な対応を目の前で見て圧倒された数日間でした。


watanabe_makiko:

ShimaFuji IEM 翻訳チームの一員です。
難解な言葉や韻を踏んだ表現、英語圏独特の考え方に出会うとワクワクします。その英語を通して、書き手や話し手の人柄が表われているからです。どのような日本語に訳していこうか、と考えながら日々格闘しています。

言葉の達人

ジェイ・エイブラハム氏の文章を訳すとき、毎回驚くことがあります。それは語彙の豊富さです。

『限界はあなたの頭の中にしかない』では、「古書店で辞書を買って1日5単語覚えることから始めた」こと、そして、「現在は言葉の正確さについて高い評価をいただいている」ということが書かれていました。

あるとき、こんな表現に出会いました。

their proprietary systems

真ん中の単語が目にとまりました。

一般的な文章なら、own(彼ら自身の)やunique(ユニークな、独特な)、あるいはただ「their systems」と書くところです。なぜ、proprietaryという単語を選んだのでしょうか…

proprietaryとは、
・著作権や商標登録があること
・そのモノやコトを所有しているという事実、その所有者
を表わす形容詞です。

ということは、単なる文法上の飾りでつけたのではなく、成功した人たちそれぞれに特有のシステムを表わしている、それも商標登録しているか、それに近いくらいユニークで価値あるシステムを表わしているのではないか、と思いました。

そう考えると、心の中では、「彼らの」でもなく「ユニークな」でもないproprietaryを説明したいと思うのですが、それを各単語について繰り返していたら、とてつもなく長い訳文になってしまいます。さらに、この単語が含まれていた一文はさらっと読まれるべきもので、文章全体としてのポイントは他の文にありました。

ということで、以上のことを考えた結果、私は「独自のシステム」という訳語を選びました。

このように、形容詞1つを取り上げてみても、その単語でなければ表わせない意味が込められています。世界トップのビジネスコーチは、言葉づかいの達人でもあるのでした。


watanabe_makiko:

ShimaFuji IEM 翻訳チームの一員です。
難解な言葉や韻を踏んだ表現、英語圏独特の考え方に出会うとワクワクします。その英語を通して、書き手や話し手の人柄が表われているからです。どのような日本語に訳していこうか、と考えながら日々格闘しています。

 

 

 

言葉の探偵

翻訳をしているとき、「この場面で最適な日本語は何だろうか」と考えていると、自分が探偵になったような気分になります。

ジェイ・エイブラハム氏の英語を和訳するとき、一番の手がかりとなるのはその原文ですが、ウェブサイトや著書を参考にすることもあります。また、言葉の手がかりとして、各種辞書は欠かせません。

意外にも、英語圏の小説(原書・日本語版)が役に立つこともあります。小説の表現で頭を柔らかくしておくと、師独特の言い回しを訳すときに脳内の日本語と英語のパイプラインがスムーズに働くのです。

つい先日も、探偵のように言葉を探したことがありました。同じ文書内に、rewardとpayoffという言葉が登場しました。さらには、remunerationという見慣れない言葉もありました。

まずは手がかりの1つ目、周囲の文章を見渡します。rewardもpayoffも似たような文脈だったので、この2つが示す意味も似ていると推測しました。Remunerationも、前後の文脈からrewardやpayoffと同じような意味だと推測できました。

また、話の内容だけではなく、具体例を挙げて話しているのか、段落のまとめとして抽象的に話しているのか、ということも見ていきます。それによって選ぶ言葉が変わってくるからです。

そして手がかりの2つ目、辞書を引いてみます。英英辞書でそれぞれの意味を調べてみると、reward、payoff、remuneration、それぞれ少しずつ意味が異なることがわかりました。

次に、英和辞書でそれぞれの英語に対応する日本語を調べてみます。報酬、見返り、謝礼、利益、メリットなどの日本語が出てきました。ここで、日本語の意味を国語辞典で調べたり、類語辞典を引いて訳語の候補を増やすときもあります。ある英単語が複数の場面に登場する場合は、それぞれの場面で異なる訳語をあてたほうがよいこともあるからです。

このときは、rewardが何回か登場していました。翻訳チームで話し合った結果、ある文章では「報酬」、別の文章では「見返り」という訳語をあてることにしました。また、payoff は利益、remunerationは報酬という訳語にしました。

探偵のようだとは思いつつも、答えはいつも必ず1つ、とはかぎらないのが翻訳の醍醐味でもあり、悩みどころでもあります。

(watanabe_makiko)

watanabe_makiko

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ShimaFuji IEM 翻訳チームの一員です。
難解な言葉や韻を踏んだ表現、英語圏独特の考え方に出会うとワクワクします。その英語を通して、書き手や話し手の人柄が表われているからです。どのような日本語に訳していこうか、と考えながら日々格闘しています。

試されることと生きること

ジェイさんがニュースレターや書籍の中で、好んで引用される言葉に、ソクラテスの
”A life unexamined is a life not worth living.”
(吟味されることのない人生は、生きるに値しない)
というものがあります。

このunexmamineという言葉は、examineという動詞の否定形なのですが、examineという言葉、日本では「試験」を意味するexaminationという名詞形で有名な言葉かもしれません。語源的には検査する、測定する、という意味から、検討する、吟味する、試験する、といった意味として使われています。

ソクラテスのこの言葉は、上に挙げた訳が「定訳」となっていて、微妙な差はあっても、いずれも「吟味」という言葉が使われています)。
ただ、この文章だけを取り出してみたとき、現代に生きる私たちの感覚として、「吟味」という言葉は少しピンとこないものになっているのではないでしょうか。

本来「吟味」という言葉は
1. 詩歌を吟じ、そのおもむきを味わうこと
2. 物事を詳しく調べて選ぶこと
3. 罪状を調べただすこと。詮議。
…(以下略)(広辞苑)
となっているのですが、少しこれも私たちが感じる言葉の印象とは違いませんか?

試しにgoogleで検索してみると、「吟味屋」という料理屋がたくさんヒットするように、「味」がつくことからか、試す、というより、特に食物などを(ほかの味と比較したり試したりしながら)深く味わう、という意味に近くなっているように感じるのです。

たとえば「あなたの生活の質を吟味する」といった場合、さまざまな数値を基にしてQOLを検査する、というよりもむしろ実感としての生活の心地よさ、味わい深さを測るといったニュアンスを感じます。

そのため、ジェイさんのテキストでこの文章が引用されている場合、かならずしも定訳がふさわしくない場合もあるのです。たとえばその引用句に続いて「目に見える要因も見えない要因も、適切にテストし、重ねてテストすることを続けないビジネスは、運営するに値しません」という文章があった場合は、「吟味されることのない人生など、生きるに値しない」というより、「試されることのない人生など、生きるに値しない」と訳した方が、すっと意味が入っていくように思うのです。

ところで「試されることのない人生は、生きるに値しない」といったとき、「吟味されることのない人生など、生きるに値しない」よりも、何かずっと厳しい印象を受けます。
それは、私たちが人生の過程で、実際にいくつもの「試される」経験をしてきて、そこでつちかわれた印象なのかもしれません。

点数の結果によって、合格、不合格が否応なくつきつけられる「試験」。
この会社に自分がふさわしい人間であるかどうかが試される「試用期間」。
勝ちと負けの結果が、この上なく明確についてしまう「試合」。
曖昧なものを許さない、白か黒かの判定をはっきりつけるものが「試す」であるかのような。

ところがこの「試す」という言葉が、やはり「味」に関係があることをご存じですか?
「試」には「ごんべん」がついていますが、古代は「ごんべん」ではなく、食物を口に入れる意味をあらわす「口」の上に「▽」がついたものでした。つまり、古代人が新しいものを目にしたとき、最初におそるおそるなめたり、かじったりしてきたことが「試す」の語源。ですから「吟味」本来の意味と重なり合っているのもうなずけます。

私たち人間は、驚くほど多種多様なものを食べていて、見かけがグロテスクだったり、毒があるものを加工して、何とか食べられるように工夫した食物を見るたびに、古代人たちの飽くなき探求心に驚くのですが、古代人たちがそうやってひとつずつ「試」しているところを思うと、なんとなくほほえましく思えてきます。

人間以外の動物たちが、ほぼ食べるものが定まっているのに対し、人間の食物の多様性を思うと、「食べられるものなら何でも食べてやろう」という冒険心が、人間と動物を隔てている大きな違いなのかもしれません。
「試す」の根っこのところに、この「冒険心」がある。
そう思うと、なんだか楽しくなってきます。

冒頭のソクラテスの言葉は、『ソクラテスの弁明』という本の中に出てきます。

古代ギリシアで、ソクラテスは道行く青年たちをつかまえては、「徳とは何か」「美とは何か」と問いかけていました。それがジェイさんも使っている「ソクラテス式問答」です。問いかけに、ありきたりな答えを返す相手に対して、一般的に言われていることを深く吟味し、さまざまな条件を想定して試し、もっと考えを深めていくよう導いていったのです。

ところがギリシアの権力者たちは、自分たちが批判されていることを快く思わず、何とかしてそれを止めさせようとしました。一向に言うことを聞かなかったソクラテスは、とうとう死刑まで宣告されてしまったのです。本当は、死刑にしたかったのではなく、謝らせたい、逃亡させて恥をかかせてやりたい、というぐらいの気持ちだったのですが。

その死刑宣告に対して、ソクラテスは、自分にとって対話活動は、自分と他人の考えを吟味しながら、徳やそのようなことがらについて議論するものであり、それ以上に大切なものは存在しない(それが冒頭の言葉の意味です)として、死刑を受けることになります。

先にも言ったように、試す、吟味する、この言葉の根っこには、人間の「自分の世界を広げてやろう」という冒険心があります。その冒険の結果、ときにソクラテスのように、あるいはフグを食べて命を落とした人のように、大きな代償を払わなければならないこともあるのかもしれません。

でも、新しい試みのために、命を落とす必要は、今の私たちにはありません。
ジェイさんの言うように「小さいテストを繰り返す」。それだけで、きっと自分の世界も広がっていくはずです。逆に、 世界を広げることも望まず、同じことを繰り返して、どんどん空疎なものになっている生活では、試すことの必要もないでしょう。

ときに失敗してへこんだり、人から厳しい批判を投げかけられたリしたとしても「試されることのない人生は、生きるに値しないのだ」と、前を向いて、冒険心を忘れないで、生きていきたいものだと思います。


hattori01ハットリサトコ:ShimaFuji IEM 翻訳チームに所属しております。
社会学系読み物や、フィクションの下訳、Webライターなど、さまざまな仕事を経て、ジェイ・エイブラハムの『限界はあなたの頭の中にしかない』と巡り合い、従来のビジネス書にはなかった深い思想性に強い共感を覚え、現代の社会でもっと多くの人に読んでもらいたい! と強く思うようになりました。難解なジェイさんの思想と取っ組み合いをしながら、チームのみなさんと、あーでもない、こーでもない、と頭をひねる毎日です。
ジェイさんを始め、さまざまな方の翻訳を通して、発見したことや気づいたことなど、お伝えしていけたらな、と思っています。

近くて遠い「あなた」との関係

翻訳を学ぶ人が最初に習うことは、おそらく「代名詞を訳さない」ということでしょう。
いわゆる直訳から、日本語らしい日本語にするための第一歩が、「代名詞」を訳さない、ということなのです。

たとえばこの文章。山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

夏目漱石の有名な『草枕』の冒頭です。
仮にこの文章が英訳されていて、その英文を直訳したとすると、たぶんこんな日本語になるはずです。

私は山路を上りながら、もしある人が論理的に行動したならば、
彼または彼女は多くの問題を引き起こすことだろう、
逆に、彼が周囲の人々の感情に調子を合わすならば、
彼は状況に巻き込まれてしまうだろう、
かといって、彼が自分の意思を押し通したとすると、
彼は思うようには行動できないだろう、と考えた。

うわ、直訳だ、と思いませんでしたか?
もちろん「智に働く」など、独特の言い回しの言い換えもあるのですが、何より動作主体、すなわち主語をすべて挿入しているために、いかにも英語らしい?日本語になってしまうわけです。
小説ばかりではありません。この文章を見てください。

携帯電話やパソコンに向かってインターネットを自由気ままに使用していると相手が自分と同じ人間であることを忘れがちになり、知らない間に人を傷つけたり、法律に違反したりする可能性もあります。(引用:「ネットエチケットについての注意書」)

おもしろいことに、この文章にも主語がありません。でも、私たちは特に「誰の話をしているんだ?」と疑問も抱かず、文章を読み、理解しているはずです。ところが、これは英文だと、Youという主語を補わなければ、文章として成立しないのです。

この場合のYouは、人一般を指す「総称人称」というもので、特に意味はないために、日本語には訳出しない、というルールが辞書にも書いてあります。

私もジェイさんの文章に出会うまでは、できるだけ代名詞を訳さず、特に「総称人称」は訳さない、という規則を守っていました。
ところが、です。
ジェイさんの文章は、Youが非常によく出てくるのです。
このYou、どうも「総称人称」ではない、明らかに読み手に向かって「あなた」と呼びかけている…。

それが私の思い込みだけではないことは、すぐにわかりました。

ジェイさんは自分の文章の中でしきりに、Youと呼びかけるだけでなく、広告のヘッドラインやセールスレターでも、YouYourという語を多く使うように、とはっきり言っています。総称人称ではない、今これを読んでいる「あなた」に向かって、語りかけなさい、と。

でも、ここで問題があります。
「あなた」という言葉は日本語として収まりの良い言葉ではないんです。
たとえば、

私たちはあなたにAAAというご提案をいたします。
あなたはこれまで~のようなときに、不満をお感じではありませんでしたか?
私たちは研究開発の結果、__という問題を解決いたしました。
あなたもきっとAAAには満足していただけると思います。

こんなダイレクトメールをもらうと、日本人的な感覚だと、ちょっと違和感を覚えたりしませんか?(あるいは、きっとこれは外資系だな、と思う)

そもそも私たちは日常で「あなた」という呼びかけを、対面する相手にあまりしません。「あなた」という呼びかけを使う人というと、真っ先に思い出すのがマスオさんを呼ぶサザエさんです。でも、夫に対してこんな呼びかけをする女性も、今の日本ではむしろ少数派ではないでしょうか。

二人称とは、一人称である「私」が呼びかける相手です。
日本語では一人称が「わたし」「ぼく」「おれ」「わたくし」「拙者」「吾輩」「おいら」「うち」…などと目まぐるしく変わるのに合わせて
「あなた」「君」「あんた」…と変わっていきます。それだけでなく、特に日本では「お父さん」「先生」「社長」…というように、話し手との関係性を反映した呼びかけが、日常的によく使われます。

そもそも「あなた」を使うと、親しみとはちがうニュアンスが現れてくる、とは思いませんか?
「あなたの問題点はね…」あとに続くのは、お説教、はたまた別れ話?

ですから、セールスレターを訳すときは「あなた」の代わりに「__様」という呼びかけを当てはめました。
英語だと、Mr.~というよそよそしい、それこそビジネスライクな響きがあって、決して好まれないこの呼びかけが、それでも日本語では、「ほかの誰でもない、__さんに話しかけているんですよ」
というニュアンスを伝えることができて、一番近いかな、と思ったのです。

ジェイさんの文章の中で「あなた」と訳されている箇所が目についたら、どうか今、この文章を読んでいらっしゃる「あなた」に、直接ジェイさんが話しかけている、と思ってほしいのです。それが伝わるよう、私たちもできるだけ、語りかけるような文体を心掛けています。

そうして、セールスレターなどのテキストの文中で、「__様」とあったら、今度は「あなた」が、話しかける相手の顔を思い浮かべながら、読んでみてほしいのです。  (ハットリサトコ)


hattori01ハットリサトコ:ShimaFuji IEM 翻訳チームに所属しております。
社会学系読み物や、フィクションの下訳、Webライターなど、さまざまな仕事を経て、ジェイ・エイブラハムの『限界はあなたの頭の中にしかない』と巡り合い、従来のビジネス書にはなかった深い思想性に強い共感を覚え、現代の社会でもっと多くの人に読んでもらいたい! と強く思うようになりました。難解なジェイさんの思想と取っ組み合いをしながら、チームのみなさんと、あーでもない、こーでもない、と頭をひねる毎日です。
ジェイさんを始め、さまざまな方の翻訳を通して、発見したことや気づいたことなど、お伝えしていけたらな、と思っています

人は城、人は石垣、人は堀

ジェイ・エイブラハム氏の哲学を深く考えるとき
私の頭に浮かんでくる1人の人物がいます。
それは、500年前の日本を生きた
名高い戦略家 武田信玄です。

戦国時代の日本は、それはそれは殺伐としており
親兄弟間の殺し合いすら、日常茶飯事だったとか。
あの織田信長が実の弟を討ったことは有名な話ですね。

信玄も父を追放し家督を継いではいるものの
毎年のように多額の仕送りをしていたそうです。
信玄はまた、独裁者ではなく
家臣との戦略会議をよく開いたといいます。
また、当時としては非常に珍しく
身分によらず実力のある者を進んで招き入れる
そんな 器の大きい人物でもあったとか。

そんな信玄の、数ある名言の中にこんなものがあります。
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは見方、仇は敵なり」
信玄が家臣をとても大切にしていたことが伺える一言です。

ところで、
「なぜジェイ・エイブラハムの翻訳裏話で武田信玄なの?」と
皆さんうすうす疑問に感じていることでしょう。
いよいよ本題です。

“Team”

この一言をどう訳すか。
これに、私たちは迷ったことがあります。

「え?普通に『チーム』じゃダメなの?!」
と、多くの方が疑問に思われることでしょう。
ときにはこんな、何の専門用語でもない一言を訳すのに
私たちは多いに悩むことがあります。

それは、スタートアップを考えている人たちに向けた
動画の字幕を訳していたときのことでした。
ジェイさんは、スタートアップをする人が今後雇う人材を指して
“your team”と言ったのでした。

もちろん「チーム」という言葉は日本語でも普通に使われているけれど…
一般的に日本人が「チーム」という言葉を聞いて
頭に思い描くのは、ビジネスではなくスポーツなのでは?

そう、スラムダンク、キャプテン翼、はたまたアタックNo.1のような…
とにかくその言葉には、友情、涙、熱血、団結といったイメージが
付いて回るものではないでしょうか。

「では英語のteamは違うの?」というと
そんなことはありません。
ただし、大企業、中小企業に関わらず
また上司や部下が入り混じっているかどうかに関わらず
一緒に仕事をする仲間を“team”と呼ぶのは
ごくごく普通のことと言えます。

でも日本では違うのではないか、と私たちはふと思ったのでした。

文字が何秒かのうちに現れて消えてしまう字幕の場合には
言葉のイメージが非常に重要です。
ここで「チーム」という言葉を使って、
スラムダンクを連想させてしまって良いのか?!

ではどうすれば?
いくつかの提案がありました。
「スタッフ」「従業員」などの訳を当てようかと。
もちろんそれでも意味が通る訳にすることはできました。

が…

結局のところ私たちは、敢えて「チーム」という訳を選びました。
ジェイさんがそのとき伝えたかったのは
まさにスポーツのチームに関して私たちが連想するような
「心のつながり」だと思ったからです。

ジェイさんの卓越論からは
「人を敬って、大切にすればするほど、自分の得るものは大きくなる」という
メッセージが伝わってきます。

なんだか私は、先ほどの信玄の名言を思い出すのです。

日本企業の間でも「チーム」という言葉と考えが
もっと浸透していくといいな~と
そんな願いを込めて訳を選んだ、島藤翻訳チームでありました。

(a_washiyama)


a.washiyama

a_washiyama:
ShimaFuji IEM 翻訳チームのメンバーです。
翻訳家としてまだまだ勉強中ですが、ジェイさんのお考えを分かり易く、正確にお伝えできるよう、邁進して参ります!

意外なところで孟子と出会う

Jayさんの文章を訳していて、
You shouldn’t steal from yourself.
という文章に出くわしました。

直訳すれば、「あなたはあなた自身から盗むべきではない」ということですが、なんとなくよくわからない言葉です。前後のつながりもよくわからず、意味が取れません。

こんなふうに周りから浮いている言葉というのは、たいてい引用句の一節にちがいない、と思って検索してみました。
ビンゴ!です。
それも、なんと孟子だったのです。
有名な「惻隠の情」の箇所です。

惻隠(やさしさ)、羞悪(悪を憎む心)、辞譲(謙譲の心)、
是非の心(何が正しくて何が悪いかを判断する心)が生じぬ者は人とはいえない。
人にこの四端が存するのは、人に手足があるが如きものである。
この四端はそもそも己に備わっている。
それにも関わらず、自らそれを見失っているのは自らを害する者であると言える。
(”Readings in Classical Chinese Philosophy”からの筆者訳)

最後の
one is unable to be virtuous is to steal from oneself.
これが “steal from yourself” の原意だったのです!

つまり、自分に本来備わっているものを、自分で盗んで(無くして)はならない、ということだったんですね。以前もJayさんの文章の中に「孫子の兵法」が出てきたことがありましたが、うーん、Jayさんの博識、恐るべし、というところ。

でも、こんな風に疑問が氷解する瞬間は、とても楽しいものですね!

この孟子の一節も出てくる文章の翻訳は、今後「卓越論上級編」として、学習会やセミナーなどで皆様のお手元に届くかと思います。
そんなとき、ああ、こんな思いをしながら訳していたんだな、と(ちょっとだけ)思い出していただければ幸いです。

(ハットリサトコ)


hattori01ハットリサトコ: ShimaFuji IEM 翻訳チームに所属しております。
ジェイ・エイブラハムの『限界はあなたの頭の中にしかない』と巡り合い、
従来のビジネス書にはなかった深い思想性に強い共感を覚え、
現代の社会でもっと多くの人に読んでもらいたい! と強く思うようになりました。
難解なジェイさんの思想と取っ組み合いをしながら、
チームのみなさんと、あーでもない、こーでもない、と頭をひねる毎日です。