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保護中: 卓越論上級編

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自分のために世界を良くする

いよいよ5月12日に出る『マネー・コネクション』ですが、日本語版にはジェイさんの日本向けの序文がついています。

その中に、mutual self-interestという言葉が出てきました。
ここでのinterestとは「利益」、self-interestとなると、自分に利益が出るようにすること、そこから転じて利己心、利己主義、自己利益…などの訳が考えられます。ところがこの文章の中では、そのself-interestの前に、「相互の」「お互いの」という意味のmutualがついています。訳すとしたら、「相互的自己利益」というあたりで落ち着くかと思うのですが、これはどういうことなのでしょうか。

これはもともと、アダム・スミスから来ています。高校で習ったかと思いますが、例の「神の見えざる手」のアダム・スミスです。

アダム・スミスはこのように考えました。
人間は本来的に、自己利益を最優先する利己的な存在です。その一方で、人間は社会を形成し、多くの人と共に生活をしています。それは、利己的であると同時に、共感能力があるからです。自分が寒ければ、ほかの人も寒いだろう。自分がおなかがすいているときは、ほかの人も空腹だろう。そういう共感能力があるからこそ、利己的な存在である人間が、社会を営むことができる、というふうに考えたのです。

利己的な人間は、誰よりも暖かい場所を確保しようとし、獲物がいる場所は、自分だけの秘密にしていようと思います。ところが大きな獲物を狩ろうと思えば、自分だけではどうにもなりません。そのとき、ほかの人に「自分の言うことを聞け」とむりやりいうことを聞かそうとするのではなく、また、「お願いですから力を貸してください」と相手の優しさに訴えるのでもなく、別の人に獲物の居場所という秘密を明かし(秘密という利益を相手に渡し)、協力を求めようとするのです。相手も食物が必要で、相手も自分と同じように利己的であることを知っているから、「私に利益を与えることは、あなたにとっても利益になりますよ」と相手の利己心に訴えかけるのです。

「相手に利益を提供することは、自分にとっての利益になる」ことを知っているから、私たちは誰かに何かをしてほしいとき、先に利益を相手に提供する。これが「相互的利己主義」ということです。

ジェイさんは卓越論をはじめ、さまざまな場面で「あなたの利益よりもクライアントの利益に焦点を当てなければならない」といったことを繰り返し言っていますが、これは博愛主義でもなく、利他主義でもありません。まさにこの「相互的自己利益」から言われていることなのです。自分同様に自己利益の追求に余念のないほかの人に、まず利益を提供することによって、自分のビジネスの成功を持続可能なものにしていこう、ということなのです。

最近、よく耳にするようになった言い方に「世界を良くする」という言い方があります。自分の仕事を通して、世界を良くする、という考え方自体は、非常にすばらしいと思うのですが、でもその「世界を良くする」ことの目的は、一体何なのでしょうか?

「世界を良くする」というのは、それだけで良いことなのだから、それ以外に目的など必要ない…というのが、おそらく「利他主義」や「博愛主義」といわれるものでしょう。

けれども、たとえば地域の治安が悪くなって、誰も安心して出歩けないようになったら、うちの店のお客様も減ってしまう、そうなったら困るから…という利己的な理由で、自分の店の前だけでなく、近所一帯をきれいにし、切れた街灯がないように気を付け、落書きを消したり、割れたガラスを取り替えたりすることも、小さなエリアではありますが、「世界を良くする」ことではないでしょうか。そうしてそれは、抽象的な大義名分をかかげて立派なことをしようとするより、よほど長続きするものなのではないでしょうか。

なにしろ「利己心」というのは(アダム・スミスによると)人間の基本的な性質のひとつなのですから。


ハットリサトコ
ShimaFuji IEM 翻訳チームの一員です。出産・退職後、在宅で働ける資格を身につけるために翻訳を学び始めました。
約5年フィクション/ノンフィクションの下訳、ウェブ・ライターを経て、『限界はあなたの頭の中にしかない』に巡り合い、深い共感を覚え、ShimaFujiIEMのチームに加わわっています。

ジェイ・エイブラハムが使っている専門用語をどう訳すか

“reference frame”(準拠枠)って何?

ジェイさんの卓越論上級編の中に、reference frameという言葉が出てきます。
これは社会学の用語で「準拠枠」という定訳があります。でも、「準拠枠」なんて言われても、ちょっとわけがわかりませんよね。

つまり、どういうことかというと、たとえば1人の学生が起業を志している、とします。
そこでスティーブ・ジョブズやイーロン・マスクの伝記を読み漁り、同じく起業を志す学生に連絡を取って、「起業を考える学生の会」などのサークルを作るとする。

彼の頭の中では「起業を考える学生の会」の一員である、という意識が、大学という現在所属している集団よりも、家庭という生まれてこの方ずっと所属している集団よりも、大きな場所を占めるようになってくる。
このとき「起業を考える学生の会」のクラブは彼にとっての「準拠集団」(reference group)であるといいます。

もともとの所属集団とは別に、みずからその一員になりたくて、そのメンバーとして進んで行動するようなグループが準拠集団なんです。行動のモデルとして参照するような集団だから、reference(参照) ですね。
わざわざ「準拠」というなじみの薄い言葉を当てなくてもいいと思うんですが。

そのうち彼は「(将来の)起業家」の目で、買い物をするときも、ニュースを読むときも見るようになります。また、大学へ行っても、起業にかならずしもプラスになるとは思えない(あくまで彼が考えることですが)語学や一般教養の授業などが、時間の無駄のように思えてくる。バンドだアニメだと騒いでいる同級生たちが、「意識が低い」ように思えてくる。

日常でも、「起業家ならこうするはず」「起業家ならあんなことはしない」という風に、起業家の一員である、という意識が彼の判断や行動を基準づけます。彼の中で「起業家」が内在化され、無意識のうちに基準となるのです。

本人は自発的に行動しているつもりで、実はその基準に従って動くようになります。
その内在化された基準が「準拠枠」です。

私たちは誰もがこうした「準拠枠」を持っています。たとえば外資系の企業に就職した人は、意識的無意識的に、いわゆる「外資系」らしいものの考え方やふるまい、外見や持ち物を選択するようになる。「自由人」という生き方にあこがれて、自分探しを始める人も、「自分だけの考えで」と思うかもしれませんが、実はその人のイメージにある「自由人」という準拠枠に従って、考えたり行動したりしているわけです。

ジェイさんは、卓越論は抽象的でわかりにくいから、その人に合った「準拠枠」に従って説明した方がわかってもらえる、という文脈で、その言葉をおっしゃっていました。

はて、この「準拠枠」をどう訳したら良いのだろう、と原文を読んだとき、私は頭をひねりました。というのも、以前、まったく別の人が書いたビジネス翻訳書を読んでいたとき、この「準拠枠」が「参考フレーム」と訳してあり、前後の脈絡が取れない文章になっているのを目にしたことがあったからです。

結局、その箇所を訳したのは、私ではなくShimaFujiIEM翻訳チームの別のメンバーでしたが、そこを

最初に概念を話してから、具体的な例を出して説明するのではなく、最初にわかりやすい例を話したほうが、みなさんは理解しやすいですよね

という風に、うまく文脈に溶け込ませて、しかも実際の意味を損なわないように訳しているのを見て、(手前みそですけれども)本当に感心しました。

日本語の専門用語はどうしてそんなに難解なの?

ジェイさんの使う言葉は、難解なものが多いだけでなく、日本の専門用語というのは(特に学術系)特殊なものが多いのです。学生時代、哲学の授業で「表象」という言葉が出てきて、頭を悩ませたことがあります。英語ではrepresentation(表すこと/表されたもの)という、比較的平易な単語を、どうしてこんな難解な訳語を当てるのか、教授に聞きました。

すると、「確かにわかりにくいし、日本が西洋哲学を受け入れて来た経緯から生まれた問題もある。けれども、そのワードにこめられた意味自体が難解なもので、一口に言えないようなとき、日常語に引きずられない、という効用もあるんです。慣れてくるとマーカーで引いてあるように、この人はこの言葉をこういう意味で使っているんだな、と目印になってくるから辛抱してください」と言われました。

実は、ジェイさんの難解な文章の翻訳にも当時の経験がずいぶん役に立っているのですが(実際、こんな知識が仕事に活かせるとは夢にも思いませんでした)、かといって難解な文章をさらに難解な日本語を当てて、ジェイさんの思想を理解しないままありがたがってもらうのも、私たちの本意ではありません。

これからも厄介な専門用語と格闘しつつ、わかりやすく、でも真意を捻じ曲げることなく、がんばっていきたいと思っています。

そしてまた、ここの意味がよくわからないのだけれど、というところがあれば、どうぞお気軽にお問合せください。
私たちも考えて、考えて言葉を選んでいますので、その思考過程をシェアできれば、とてもありがたいのです。


ハットリサトコ
ShimaFuji IEM 翻訳チームの一員です。これまで英米文学やノンフィクション、社会学系の専門書、科学系の読み物など、幅広く訳してきました。ジェイさんの難解な用語に頭をひねりながら、これまで得た知識を総動員して、実践と学びで築かれた知の高峰に挑んでいます。

あたたかさ

読者に対して、手紙形式で書かれた文章を訳したときのことでした。
最後に、「warmly」という言葉で結ばれていました。
さて、どんな日本語にすればよいでしょうか。

warmという言葉は、何かが「あたたかい」ことを表わしています。さらに、手元の辞書によると、派生して「活気づいた」「好意を抱いた」という意味もあるとのこと。「愛を込めて」という例もありました。

言葉の選択に迷う時、「ジェイ・エイブラハム氏が日本語を話すとしたら」と想像して考えます。さまざまな経験をしてきたアメリカ人の60代男性で、世界中を飛び回っているビジネスコーチはこのような場面で、どんな日本語で手紙を締めくくるのだろうか。

辞書の言葉から選ぶなら、「好意を抱いて」「愛を込めて」となりますが、想いを寄せる人や恋人への手紙ではありませんので、違和感があります。そうすると、「あたたかい気持ちで見守る」という感じでしょうか。ただ、「見守る」というと、親子関係や地域のおじさん・おばさんのイメージが思い浮かぶかもしれません。

ビジネス関係の話だということ、不特定多数の読者に向けて話しているということをふまえると、「見守る」というよりも「応援する」という言葉のほうが適していると思いました。そして再び、ジェイ・エイブラハム氏の紳士的な姿や言葉づかいを思い出して考えます…
この場面は、「心から応援しています」という表現が合うのではないかという結論を出しました。

今回のwarmのように何の変哲もない英語でも、ジェイ・エイブラハム氏が話している状況やその言葉に込めた想いを汲み取って訳していくことを、日々心がけています。

 

(watanabe_makiko)


watanabe_makiko

watanabe_makiko:

ShimaFuji IEM 翻訳チームの一員です。
難解な言葉や韻を踏んだ表現、英語圏独特の考え方に出会うとワクワクします。その英語を通して、書き手や話し手の人柄が表われているからです。どのような日本語に訳していこうか、と考えながら日々格闘しています。

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