キャッチボールをするように

Speak と Talk の違いは何かと訊かれたら、どう答えるのがいいと思いますか?

中学生であっても、まじめに授業を受けている子なら答えられる質問かもしれません。
どちらも「言葉を発する」という意味の動詞でありながら、はっきりと使い分けられている単語です。

ジェイさんは広告やコピーの重要性を語る際に、次のようにおっしゃることがよくあります。
「あなたがつくった広告やコピーを見る人が大勢いるとしても、あなたはそのひとりひとりに話をしていることを覚えておいてください」
ここでジェイさんが使った「話をする」は、Speak と Talk のどちらだと思いますか?

Speak はフォーマルで、Talk はカジュアルだという説明をよく目にします。確かにそれは事実ですが、私個人的には、それより大きな違いが別にあるように感じています。
ある文献では次のように説明しています。
「Speak は一般的に、言葉を発する人だけにフォーカスした単語である一方、Talk は言葉を発する人と、その聴き手の両方にフォーカスした単語である」

ジェイさんは、広告や販促は一方的であってはならないというお考えで、そのメッセージを受け取る人と、いわば「会話」をしなければならない、と強調しておられます。
先ほどの質問の答えは皆さん、もうおわかりですね?

私は今のところ、コピーを書いたこともプロモーションを企画したこともありません。しかし、言葉をあつかうという仕事であることには違いなく、ジェイさんの語られることに少なからずドキッとさせられている自分がいます。
通訳の場合には、聴き手が目の前にいるかもしれませんが、翻訳の場合にはそのようなことはまずありません。自分が翻訳したものが読み手に届くのは、明日かもしれないし、1か月後かもしれないし、10年後かもしれません。
それでしばしば、読み手を意識して訳す、というのが難しく感じることもあります。「相手はどう読むかな」とか「何を感じるだろうか」ということを考えながら訳すというよりは、とにかく「意味がわかるかどうか」だけに集中してしまうことがあるのです。
広告やコピーに関しても、販売する側が言いたいことだけを一方的に伝えて、受け取る側の気持ちを無視するようなものになってはいけない、という意味で、ジェイさんはTalkという言葉をあえてつかっておられるのだと思います。それは相手の存在を確認しないままに投球するようなものではなく、キャッチボールであるべきだ、というメッセージが伝わってきます。

「翻訳をする」「コピーを書く」、そのほか「言葉を発する」という行為がなんと呼ばれてどんな目的で行われるにせよ、それを受ける相手を最大限に意識することの大切さを、ジェイさんに教わっているように感じています。
自分が訳す言葉ひとつひとつ、そして発する言葉ひとことひとことを、大切に考えたいものです。

(a_washiyama)


a.washiyama

a_washiyama:
ShimaFuji IEM 翻訳チームのメンバーです。
翻訳家としてまだまだ勉強中ですが、ジェイさんのお考えを分かり易く、正確にお伝えできるよう、邁進して参ります!