働きがいのある職場を作るために
by ブライアン・ソリス
先ごろ行われたギャラップの調査によると、
アメリカ人の従業員のうち、仕事にやりがいをもって打ち込んでいる人々は
31.7%でしかないことがあきらかになりました。
この衝撃的な結果と、結果が与えたインパクトは、
すでに多くの人の知るところとなっています。
けれども、私たちはそれが深刻な事態であるらしい、とは思っていても、
そこから先へは進んでいません。
仮に、従業員のわずか13%しか会社のことを気にかけなくなってしまったら、
その会社のビジネスは、果たして成功の見通しを立てられるのでしょうか?
おそらく私たちは、そのことを真剣にとらえようとしていないか、
間違った方向に焦点を当てようとしているのでしょう。
2015年、従業員が感じる「仕事のやりがい」は、
アメリカにとって、そうして未来の仕事にとって
もっとも重要でありながら、誤解されたままになている中心課題のひとつです。
そもそも「仕事のやりがい」とは、実際のところ、何なのでしょうか。
おそらく「エンゲージ・フォー・サクセス」の定義が、一般的なものと言えるでしょう。
仕事のやりがいとは、
従業員が組織の目標や価値を高めるために努力をし、
組織の成功に向けて主体的に貢献し、
そのことが同時に、自分の幸福感を強化することができるような
職場のアプローチである。
感動的? いいえ。
つまらない? そのとおり。
別にこの文章を書いた人を悪く言うつもりはないのですが、
これではまるで何かの委員会か機械、ひょっとしたらその両方が書いた文章のように
思えてしまいます。
おそらく言葉の順番、または言葉そのもののせいで、そんな印象を抱くのでしょう。
とはいえ、この定義を見ていると、私たちがインパクトを与えるために、
立ち上がらなければならないことは明らかでしょう。
…人間的なインパクトを。
この定義によれば、「仕事のやりがい」とは
・職場のアプローチ であり、
・従業員が組織の目標や価値を高めるためにする努力 であり、
・組織の成功に向けて主体的に貢献すること であり、
・同時に、自分の幸福感を強化することができる
もののようです。
こうやって文章をバラバラにしてみると、ひと目見ただけで
どうして従業員の多くがこんなにも「仕事のやりがい」を抱くことができないのか、
その根底にある理由がよくわかります。
すべては組織のためであって、人間のためではないからです!
仕事のやりがい、もしくはその欠如とは、もっと大きなもの、
少なくとも、もっと大きくあるべきものの一部にすぎません。
私たちが仕事のやりがいを通して、実際に問題にしなければならないのは、
文化、従業員を中心に置いた、従業員の力となっていくような文化についてなのです。
スタン・スラップは新著
『ボンネットの下で:従業員文化に点火し、ファイン・チューニングしよう』
の中で、この文化のことを、以下のように定義しています。
「文化とは、あなたの従業員が共に抱いている、
生き延びるための、そうして精神的にも幸福であるための信条のことである」
人々が同じ基本的生活状態にあるときはいつでも、
生き延びるためにはどうするのが最適か、信じるところを分かち合い、団結する、
と著者は指摘します。
確かにどの職場でも、従業員は、1日に8-12時間、少なくとも週に5日、毎週、共に働いています。
これは筋の通った話です。
と同時に、人々は、自分が何か重要なことに貢献していると、実感できることを求めています。
さらに自分たちの仕事が、そうして自分たち自身も、経営陣に評価されることをも望んでいるのです。
さまざまな意味で、職場はそこに所属する人々によって、息を吹きこまれるコミュニティです。
そうして、繁栄するコミュニティは、共通の願望や、構成員の利益をはぐくみながら、
共通の理想に力を注ぐところなのです。
ビジョン、目標、そうして目標に到達するために何をし、誰を求めるか、
こうした問題にしっかりと照準を合わせた指導部のいるコミュニティは、
強く、賢く、粘り強く、愛着を持てるところに育っていきます。
私は以前、コミュニティのことをこのように定義しました。
コミュニティとは、人々がそこに属する、ということを超えて、
人々の所属意識を強めるような活動を、共同でおこなうところである。
職場はコミュニティです。
職場の文化は、そこに所属する人々によって決まっていきます。
人々の抱く一体感から生まれた目標を、みんなが分かち合い、
その向かっていく先に、理想が形づくられるのです。
だからこそ、仕事のやりがいは経営者の側からではなく、
従業員のリーダーシップの中から生まれるのです。
仕事のやりがいとは、私たちの職場をリーダーがどのように形づくるか、
私たちは何をするのか、なぜ私たちはそれをするのか、それにはどういう意味があるのか、
私たちひとりひとりがどのような役割を果たすのか、
今日も、明日も、どんな価値を生み出すのか、という文化なのです。
元記事:http://linkd.in/1FyGgJw
(翻訳:服部聡子)