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なぜ話は通じないのか

12月のビジネスサミットと経営塾は、ジェイさんのお話を実際にうかがうことのできる得難い機会でもありました。

そこで何よりも驚いたのは、ジェイさんの話し言葉がとんでもなく難しかったことです。もちろんこれまでにもDVDや講演、Q&Aなどでもそのことの一端は見知っていました。でも、これほどとは…。

通常どんな人でも、話し言葉と書き言葉はちがいます。よく英会話の本に「日常会話は中学2年程度の英語で十分」と書いてありますが(そのことの正否はともかく)、確かにどれほどむずかしいことを書いている人でも、話し言葉と書き言葉のレベルが一緒、ということは、まずありません。だからこそ、難解な本を書く人でも、話し言葉でなされる講演なら理解できる、ということが起こるのです。

ところがジェイさんは書き言葉で話す人でした! 同時通訳の方ともお話したのですが、ちょっと辞書を引かなければわからないような単語を平然と混ぜてくる、大変な方だとおっしゃっておられ、ご苦労がしのばれました。

ところが、です。実は、同時通訳の方がジェイさんの英語より、もっと苦労された場面があったのです。それは、同じ日本人である参加者の方が話す日本語を、英語に通訳しようとする場面で起こったことでした。通訳の方は、訳そうにも話の筋道が見えず、一体何の話をしているのかわからないため、言葉が継げなくなり、立往生してしまわれたのでした。実際に会場にいた私も、ひとつひとつの言葉はわかるはずなのに、その話の趣旨がどうにもわからず、頭をひねるばかりでした。

いったん休憩となって控室へ行ってから、ジェイさんからも
「日本人の話は何を言っているのかわからない、どうしてあんな話し方をするのか」と言われました。

結局、もっと短く、主語プラス述語、という形で話してください、
主語のあとかならず動詞が来る、という日本語で話してください、
とお願いすることで、ずいぶん事態は改善され、何とか事なきを得たのでしたが…。

それからしばらく地元へ帰ってからも、どうして日本人の話は伝わりにくいのだろう、と考えていました。
そこで思い出したのが「三段論法」です。

たとえばあるチクワは「合成保存料無添加」と袋に大きく書いてあります。添加物には表示義務はありますが、無添加であることをわざわざ書くのはなぜか? メーカー側は、実はこんな三段論法を使っているのです。

(大前提)合成保存料を添加していない食品は健康に良い。
(小前提)このチクワは無添加である。
(結論)したがってこのチクワは健康に良い。

ところがこの大前提は、私たちにとって「常識」であるから、あえていう必要がなく、
また、結論はあえて言わなくても、聞き手は察してくれるはず、
その結果、小前提だけが提示されているのです。

また「無添加だって。体によさそう」と私たちもそのような推論を瞬時に働かせているのです。

チクワばかりでなく、私たちのまわりには、この「小前提」があふれています。

聞かれてもいないのに
「オレはセンター試験で9割超えた」という人は、「センターで高得点を取る人は頭が良い」という(その人なりの)大前提を踏まえ、結論として「オレは頭がいいんだぜ」と自慢したい、でも自慢をするかわりに、そこを察してくれ、と言っているのでしょう。

誰かのことを書いた文章の最後に「ちなみに彼は1円単位まで割り勘にする」とつけたしたらどうでしょうか。
その人の印象はそれだけでグッと下がります。それは「ケチは小人物である」という大前提を踏まえ、「ゆえに彼は小人物である」という結論を隠した文章だからなのです。

広告の文章にもこの「小前提」は大活躍です。
「買ってください」と結論を言わずに「売れ筋ですよ」、
「参加してください」という代わりに「初心者にも簡単」……

ジェイさんのコピーライティングの記事を訳しながら、どうも英語の「むき出し感」は日本人には合わないな、という感覚がずっとぬぐえずにいたのですが、日本人は結論をいう代わりに小前提をそっと出して「察してください」というのがどうも好きらしいのです。

日本社会の同質性はよく指摘されることです。本当に同質かどうかはともかく、私たちの大多数は、どこかでそう思い込んでいる節があります。

同質な社会だからこそ、あえて大前提を明らかにしなくても通じる。
同質な社会だからこそ、あえて結論を明らかにしなくても察してもらえる。

だからこそ、私たちは多くの場面で「小前提」だけの表現ですませ、それを心地よく感じているのではないでしょうか。

ところがここで問題がひとつあります。
大前提を共有していなければ、小前提だけ聞かされてもわけがわからない、ということになるのです。

たとえば「合成保存料」が添加されているおかげで、チクワが日持ちする、と考えている人にとっては、「合成保存料無添加」という表示は逆効果に働きます。
また「合成保存料」が何のことかわからない人にとっては、「無添加」の表示は意味不明でしょう。

いつもかならず相手が大前提を共有してくれる、とは限らないのです。
おそらく会場で、通訳の方が趣旨をつかめなかった方の話も同業の方であれば、十分に理解できる話だったのでしょう。
そしてまた結論に「察し」はついたのでしょう。

改めて考えるのです。
私たちが「これは~だ」という言葉には、どんな状況や判断が、大前提となっているのでしょうか。
それは、誰もが共有できるものなのでしょうか。
ひとりよがりの考えや判断を大前提として、それを踏まえて「小前提」を提示し、聞き手に「察してください」と言っているのではないでしょうか。

そこを私たちがもう少し深く考えるようになった時、たとえ英語ができなくても、通訳の方を困らせない日本語が話せるようになるかもしれません。



ハットリサトコ
ShimaFuji IEM 翻訳チームの一員です。神は細部に宿る、という言葉は、まさに翻訳のためにある、と信じ、言葉ひとつひとつと格闘する毎日です。残念ながら、木を見て森を見ず、どころか、葉っぱ1枚の葉脈に目を奪われて、森の存在を忘れることもしばしば。

第1回メンタークラブ関西支部勉強会の報告

1月6日大阪で開かれた第1回メンタークラブ関西支部勉強会「質問の仕方」に、翻訳チームのスタッフとして参加させていただきました。

他者紹介のワークとは?

会員のみなさんが3つのテーブルに分かれて着席したあと、最初に行ったのは
①他者紹介のワークでした。

私たちは自分がどう外から見えているかわかりません。
ほぼ初対面のメンバーに、自分を紹介してもらうことを通して、自分がどのように他者の目に映っているかを知り、自分では気づかずにいた「自分の資産」を発見するきっかけとなるワークです。
また紹介する人にとっては、他者をよく見、その人の好さや個性を見つけ出し、それを言葉にする、というワークでもあります。

第一印象の重要性はよく言われることですが、実のところ私たちは初対面の人から驚くほど多くの情報を受け取っています。
ところがその情報の中身を、本人が知る機会はほとんどありません。
反対に受け取っている側も、それをはっきり言語化して意識にとどめることをしないため、多くの場合あいまいなまま、以降のコミュニケーションを規定するものになっていきます。

それを言語化し、しかもネガティブな言葉ではなく、ポジティブな言葉でそれを表現するというワークは、紹介する側も、される側も、得るところの多いものだと思います。

各テーブルとも、和気藹々とした雰囲気の中で、活発な話し合いがなされていました。

質問を掘り下げる

そのあとはいよいよ本題の
②質問を掘り下げるワークです。

壁にぶつかったり、行き詰ったりしたときに、私たちに必要なのは、優れた他者の視点であり、知恵や経験です。ところが適格なアドバイス、実践につながるアドバイスをもらおうとしても、適格な質問をしないでいると、どれほど優れた人であっても一般論になってしまいます。

私たちは、これまで受けて来た教育でも、職場環境の中でも、「適格な質問をする」方法を習ってきませんでした。
そのため、本当に聞かなければならない要点を、自分でも見つけることができず、漠然としたことを質問してしまったり、本質とは無関係なことに目を奪われて、要点を外したことを聞いてしまったりします。
ですからメンタークラブでは、今回「質問をする」ということに的を絞って、話し合いを行うことにしたのです。

今回特に意識したのは、「英語的思考で考える」ということでした。
動詞が主語の次に来る英語とはことなり、動詞が最後に来る日本語の性質から、私たち日本人の話は、
「~がどうなって、こうなって、ああだからこうなんだ」という形になりがちで、
「私がどうする」という形になりにくい、という問題があります。

“I think …, because….”
(私は…だと思う、というのも、これがこうしてこうなっているからだ)

という形式で話すことによって、その人が状況をいかに把握し、それに対してどうしていこうと考えているかが明確になっていきます。

日本人の質問にありがちな、状況をだらだら説明したあと、だからどうしたらいいですか、という、その人がこれから何をどうしたいのかも明確にならない質問から脱却するための最善の方法が、「英語的思考での質問の組立」ではないかと考えたのです。

集まったメンバーが抱いている質問を
「なぜそれが問題なのか」
「なぜそう思うのか」
「なぜ…」
「なぜ…」
と繰り返すことを通じて、問題を深めていく。
そうやって、その人が本当に聞きたい問題、逢着している問題をつかみ出していく、というワークでした。

2人1組で、途中パートナーを替えながらそれぞれの問題を話し合ったあと、最後にひとりずつ、メンバーの方にそれを発表していただきました。それに対して島藤代表からのコメント、それから「英語に翻訳できるかどうか」(英語的思考になっているかどうか)の観点から私がコメントを述べさせていただきました。

まだまだ話は尽きなかったのですが、閉館時間となり、次回のスケジュールとこのような学習会を全国に広げて行こう、またメンバーの方がぜひシェアしたい、と思われるお友だちにもお誘いいただくことを確認して、終了となりました。

第1回勉強会を終えて

今回の勉強会は、メンバーの方々の温かい雰囲気の中で、活発な討論がなされていくのを、興味深く拝見しておりました。遠くからご参加くださった方からも、終了後に「来た甲斐がありました」とのお言葉をいただき、うれしい気持ちでいっぱいになりました。

私たちがこれまでいた環境では、「自分の本当の意見を言わない」ことが良しとされてきました。つまり、自分の主観は全体の調和を乱すもの、という、陰に陽に感じられる圧力の中で、自分の考えではなく周囲が求める意見を言うことが良いこととされてきたのです。
「他人と同じ」であれば無難である、「他人と同じ」なら集団の中で孤立しないで済む。

でも、そうすることが、自分にとって苦しいことは、実は誰もが気づいてきたはずです。
けれども、どうしたら良いか、どうしたら自分の本当の意見を、チームワークを乱さず、なおかつ自分も全体も良くする方向で主張したら良いのか、そのモデルを示してくれる人が身近にはいませんでした。だから、自分の意見を表明することどころか、自分の頭の中だけでも確立することすら、私たちの多くは苦手なのだと思います。

まず、第一歩として、そんな息苦しさを取り除ける場、自分が本当に思っていることを言える場を、皆さんと共に作っていけたらな、と思います。

「勉強会」と名がついていますが、誰かが教え、誰かが教えられる、という関係性ではありません。相互に教え合い、学び合える、そんなフラットな場なので、ぜひ多くの方々のご参加をお願いしたいと思っています。

メンタークラブ学習会には、メンタークラブ、または戦略的思考学会のメンバーであればご参加いただけます。
ぜひ奮ってのご参加、お待ちしております。

ジェイ・エイブラハム メンタークラブとは
戦略的思考学会とは


服部聡子(ShimaFuji IEM 翻訳チームリーダー)
出産・退職後、在宅で働ける資格を身につけるために翻訳を学び始める。
約5年フィクション/ノンフィクションの下訳、ウェブ・ライターを経て、
『限界はあなたの頭の中にしかない』に巡り合い、深い共感を覚え、弊社に。