10代で妊娠した女の子が起業家になるまで
トラン・ウィルズは成功したビジネス・オーナーですが、
そうなるまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。
高校生で、帰る家もないトラン・ウィルズが妊娠していることに気づいたときは、
まさか将来の自分が、成功した会社を2つも経営し、愛する夫と4人のすばらしい
子供たちと生活しているとは想像もできなかったでしょう。
現在の夫であるジョシュと一緒に、夜、働きながら、高校は卒業することができました。
それからふたりは最初の店、“ファブリック・ラボ”を開いたのです。
コロラド州デンバーの美容院の地下室の前で、地元のデザイナーが作った商品を売る店でした。
友だちも家族も、そんなところに店を開くなんてどうかしてる、と笑いましたが、
そこに決めたのは家賃が月200ドルで、託児所よりも安かったからでした。
それからいくつかの店を開いたり、閉めたりしながら、33歳になった今では、
デンバーで“スーパー・オーディナリー”というショップを併設したアート・ギャラリーと、
人体に無害で化学薬品を使わない施術を行う“ベース・コート・ネイルサロン”を経営しています。
それだけではありません。
ウィルズとビジネス・パートナーは、来年、ロサンゼルスにも
ベース・コートを出店するために、賃貸契約を結んだところです。
今では16歳になった長男のノアは、音楽家の道を目指しており、
その下には12歳のクインと10歳のエリオットの姉妹が続き、
末っ子のヘッシュはまだ5歳で、お姉さんたちが学校に行っている間は
お母さんの出席する会議について行くこともあります。
夫のジョシュは、ノース・フェイスやオークリーの仕事を請負うファクトリー・デザイン・ラボの
クリエイティブ・ディレクターの職を離れ、
自分のデザインスタジオ“コンシューム&クリエイト”を開いたところです。
自分がどのように人生のスタートを切り、
職業人としての生活と、家族との生活を、いかに維持しているのか、
そんなトラン・ウィルズが聞かせてくれました。
家出、10代の出産、起業家になるまで
インタビュアー:
あなたが15歳の時、ご両親に家から追い出されたのですよね。
成功したビジネスを2つも経営するようになると、
当時のあなたに想像できたでしょうか?
ウィルズ:
15の時は、なんとか生き延びようと、それだけしか考えていませんでした。
両親が私を追い出したのは、大好きな男の子に会うのを止めようとしなかったからです。
友だちの家を転々としていました。
そんなとき、ノアを妊娠していることがわかったんです。
ジョシュが自分の両親に話してくれて、2人は家に来ていいよ、って言ってくれたんです。
6か月の赤ちゃんと一緒に卒業するだなんて、どうかしてるわよね。
でも、ほんとにそうだったのよ。
ノアが1つになったとき、やっと私たちはジョシュの実家を出ることができました。
それで、やっと生活らしい生活ができるようになったんです。
結婚して16年、その間に子供が4人、そうやって今に至る、ってわけ。
私はずっと、自分の店が持ちたかったんです。
でも、自分がこんな風に、人を雇う側にまわるだなんて、夢にも思わなかった。
ベース・コートは従業員が9人、スーパー・オーディナリーは2人いるんです。
自分でも信じられないわ。
小さな子供を抱えながら、資金もないままビジネスを始めようという勇気は、
いったいどこからわいてきたのでしょうか?
自分の道を選ぶのは自分だ、って思っていました。
店を始めた当時、ジョシュはアーティストだったから、私が服を作りました。
後悔だけはしたくなかった。
10代で母親になった女性に対して、世間は“おまえなんかクズだ”っていう目で見るんです。
だから、そんな風にはならない、って、みんなに見せつけてやりたかった。
子供たちのためにね。
もし子供なんていなかったら、たぶん、嫌だ嫌だ、って思いながら働いているでしょうね。
母親として、経営者として
よくビジネス・ミーティングに、お子さんを連れていらっしゃるとうかがいました。
他の方はどのような反応を示されるのでしょうか。
びっくりする人は多いですよ。
「あなたはそれでもプロなのか?」なんて聞いてくる人もいます。
だから私はこう言うんです。
「もし私と仕事をするつもりなら、これがその仕事よ」ってね。
私は店に子供たちを連れてくるのを止めようとは思いません。
私がどんな風に子供を育てようとしているのか、
どんな風にビジネスを経営しているのか、
自分の信条を明らかにするものだから。
最初のブティックのあと、あなたはカップケーキとシリアル・バーの店を開きましたが、
それはうまくいきませんでしたね。
そこから何か学んだことはありましたか?
ビジネス・パートナーと組んだのですが、うまくいかなかったんです。
やり方がちがっていました。
自分にぴったりの人を選ぶことが、本当に大切なんだってわかったんです。
自分と同じくらい情熱を持っている人、
自分と同じくらい、献身的に働いて、
自分と同じくらい、他のことをあきらめたり犠牲を払ったりするのをためらわない人。
一緒に仕事ができるのは、そういう人です。
ひとたびそんな見つかりさえすれば、ずっと楽になるはずです。
カップケーキの店を閉めた時は、つくづく思い知らされました。
自分のアイデアが、どれもこれもうまくいくわけがない、ってわかったんです。
ストレスもかなりのものでした。
それでも、今ではその経験は良かったと思っています。
私は今も学んでいるところなんです。
うまくいくこともあれば、失敗することもある。
それはそれでいいじゃない、って。
失敗は起こるものだし、受け入れるしかないんです。
そう思えば、勇気もわいてきます。
だって、私をがっかりさせた人や、私ががっかりさせた人と
これからも向き合っていかなければならないんですもの。
それからあなたは“スーパー・オーディナリー”を開きました。
最初のファブリック・ラボと比べると、どうでしたか?
最初、スーパー・オーディナリーは私たちの家の前に開きました。
140平米の倉庫だったんです。
私たちはストリート・アートで倉庫をいっぱいにしようと考えていました。
たいていのアート・ギャラリーが、飾りたがらないような。
そこには可動式の壁があって、隔週の土曜日に動かしながら開展したんです。
その裏に誰かがいたなんて、みんな思わなかったでしょうね。
ギャラリーは予約制にしていたのですが、
私がそこにいたので、いつも開けていたんです。
私たちの家を知っている人は、家族連れで来るようになりました。
それで、コミュニティができていったんです。
オープニングの作品は、全部売れてしまいました。
それで、私たちはそこから移ることにしたんです。
今のスーパー・オーディナリーは、長女が店をやっています。
建築家を雇って、あとは全部、自力で作りました。
パートナーを2人、呼んできて、
みんなが思い描くものを作り上げていったんです。
さまざまなものを寄せ集めながら、ユニークなギャラリーにしています。
▲ スーパー・オーディナリー・アート・ギャラリー(photo:madelife)
ビジネスの資金はどうしたのですか?
すべて私たちのお金です。
ほとんどは、ジョシュのですが。
ジョシュの収入は、すべてビジネスに当てています。
スーパー・オーディナリーに関しては、2人のビジネス・パートナーが
開店資金を出してくれましたが、1年で返済しています。
私たちにはローンはありません。
誰にもお金を借りていません。
ベース・コートでは出資者が必要でしたが、
そうしなければビジネスを拡大することはできなかったからです。
多くの小企業のオーナーが、結婚の面では苦労しています。
あなたとジョシュは、どのように結婚生活を続けているのですか?
子供を育てるのは、本当に大変なことです。
良い妻であり、良いビジネス・パートナーであることも大変です。
3つの間で引き裂かれているみたいに、しょっちゅう感じているわ。
幸いなことに、私たちはお互い、大好きでいられるんです。
一緒に大人になりながら、何度も何度も恋に落ちたのよ。
ほとんどの人は、完全な結婚だ、って言うでしょうね。
でも、私たち、しょっちゅう派手にケンカしてるのよ。
きっとそれが大切なんでしょうね。
子供をどんな風に育てるか、とか、
ビジネスをどうやって成長させていくか、とか。
ふたりとも、とっても情熱的だから、良かったんだと思います。
ケンカして、ああだこうだ言い合っても、
いつも相手のことをバックアップしていくんです。
どうしたらそんなことができるのですか?
ケンカして、乗り越えて、そうやって毎日毎日生きていくのよ。
ジョシュと私は毎晩座って、話し合うの。
「あの子がそこに行かなきゃならない。誰が行ける?」
子供って、すぐ病気になるでしょう?
だから私は1週間以上先の予定を立てたり、予約を入れたりしないようにしてるの。
それに予定外のことが、かならず起こるし。
毎日生活しているうちに、
大変なことが起こったときの覚悟ができるようになるものよ。
子供が病気になった、店で何かうまくいかないことが起こった、って。
人は、店のオーナーともなれば何だって思い通りにできる、
って思ってるでしょうね。
でも、実際は、正反対よ。
自分がやるべきことをやらなかったら、一歩も先へ進めないし、
何もかも、めちゃくちゃになってしまうわ。
ジョシュは先頃、会社勤めを辞めて、新しい仕事を始めましたね。
ひとつの家族に起業家が2人いるのは、どのようなものですか?
定収入がないことのストレスはあります。
でも、定収入を得るために、ジョシュはがまんをしていたの。
彼はこれまでずっと私を支えてくれた。
だから、今度は彼の番だって。
でも、すごいのよ。すごく忙しいの。
お子さんたちは、あなたのことをどのように見ていらっしゃいますか?
あの子たちは私の誇りだし、元気の源よ。
ノアもきっとそう言ってくれると思うわ。
彼が私たちを支えてくれるように、私たちも彼を支えたいと思ってるの。
ノアは音楽プロデューサーになりたいのよ。
ほとんどの親は、こんな風に言うでしょうね。
「だけどそれでは金にならないぞ」。
でも私たちはこんな風に言うの。
「わかったわ、そのためには方法があるのよね。
あなたはそれを見つけなきゃ」って。
9時から5時までの仕事をしなくても幸せになれる、
っていうロールモデルを、私たちは提供していると思うの。
2人ともが創造的な仕事に就いていると、
普通、お金なんて稼げない、って思うでしょう?
でも、私たちはやってきた。
それは可能なんです。
仕事をしようとしている女性に何かアドバイスはありますか?
つねに助けを求めてください。
助けを求めたら、ずいぶん人生は生きやすいものになるから。
私はずっと、自分ひとりでやっていくのに慣れていたんです。
子守も家政婦さんも雇いませんでした。
時々、そう思ったこともあります。
でも、そうするぐらいなら、子供に何か買ったり、
そのお金をビジネスに回したりしてきました。
今、私は家の掃除ができます。
でも、いつか助けがほしいと思う時が来るはずです。
それが犠牲のように思えたり、止めたいと思ったりする時が来る。
もしかしたら一週おきに雇うようになるかもしれません。
でも、子供たちに会いたくなくなるときはないでしょうね。
by エイミー・ハイマール(Fortune)
元記事:http://fortune.com/2015/08/10/tran-wills-entrepreneur/
(翻訳:服部聡子)