バックアップ計画が裏目に出るとき

 

あるプロジェクトのために、どれほど入念に計画を練ったとしても、

かならずうまくいかないことは起こります。

それゆえマーフィの法則「失敗する可能性のあるものは失敗する」

と言われるのです。

この人気のある格言は、多くのバックアップ計画を生み出す元にもなってきました。

就職の面接から、引退後の投資まで、

「うまくいかなかったときのために、予備のプランを準備しておきなさい」

と、かならずアドバイスする誰かがいるはずです。

 

けれども、もしエネルギーや資金を投入し、包括的なバックアップ計画を作ったところで、

そのせいでうまくいかなかったとしたらどうでしょう?

 

先ごろ発行されたPerspective on Psychological Science誌の記事の中で

チューリヒ大学の研究者クリストファー・ナポリターノとアレクサンドラ・フロインドは、

バックアップ計画の存在が、目標を達成する上での意思決定やモチベーションに

大きな影響を与える、という説を発表しました。

 

仮にバックアップ計画を1度も使わなかったとしても、

バックアップ計画は、用意するだけで、

人の目標の追求の仕方だけでなく、達成の可能性までもが変わっていく。

バックアップ計画は、目標を追求する過程でのセーフティネットとなる場合もあるが、

最初の計画をやり遂げようとするモチベーションを下げる要因ともなりかねない。

 

確かに最初に目標がうまく達成できなかった場合、

バックアップ計画があれば、何かと重宝するものです。

また、目標を達成する上で、バックアップ計画があることが、

助けになってくれる場合もあります。

けれども、ナポリターノとフロインドは、

ある状況下では、バックアップ計画を作成すること自体が、

目標を追求しようとする意思を弱めてしまうのではないか、というのです。

彼らによれば、バックアップ計画を用意することは、

「ケーキを食べてしまっても、なおかつ持っていようとする」ようなもので、

複数の手段を持つことで成果を得ようとするものだけれども、

一方、その人の限られたリソースを、すべて傾注するのではなく、

えり好みしながら投資することでもあるといいます。

 

現在も進行中の実験の中で、ナポリターノとフロインドは、

本来の目標に取り組む上で、予備プランがあることで人が自信を持つような状況、

また逆に、予備プランのせいで人が散漫になる場合について、研究しています。

 

予備プランと散漫さの実験では、被験者は一定の距離から、

ボールをごみ箱に投げ入れるよう求められます。

対照条件では、被験者が求められるのは、ピンポン玉です。

コツをつかむために、5回練習してから、「本番」の10投を行います。

対照実験では、被験者は5回の練習の間は、テニスボールとピンポン玉を、

自分の好きなように変えてかまわない、と言われます。

その結果は未だ公開されてはいませんが、研究者たちは「予備プラン」があり、

ボールを変えて良いといわれた人の方が、点数が悪くなると予想しています。

予備プランが目標達成の助けになるか、逆に、妨げになるかは、

ナポリターノとフロインドが「複雑性の価値」と呼ぶ何ものか、

つまりは予備プランを用意するためにかかる追加コストや利点が

たった1つの戦略で目標を達成しようとする場合と比較して、

どれほどになるかによって、決まってくるのです。

基本的に、人は予備プランを持つことに対する本当のコストを、

必ずしも正確に見積もったりはしていません。

 

つまり、もっとも信頼できる推測に基づいて、

予備プランを用意した方が良い、と考えたときに、人は予備のプランを作るのです。

たとえばバックアップ計画を立てる決定をした場合、

利点と欠点を並べて、概要を述べる人がいるかと思えば、

もっと直観的に、おそらく特別な意図もなく、

感情のおもむくままに立てようとする人もいるのです。

 

たとえその意図が間違ってはいなくても、

予備プランのための追加コスト(立案にかかる時間や、実行のコスト)が

失敗の原因になることもあります。

研究者によれば、バックアップ計画がある状況下で役に立つかどうかを

すばやく確実に決定するような戦略はありません。

その代わりに、その状況で、バックアップ計画を用意する上での

真のコストと利点を考えなければならないのです。

研究者たちはこのように書いています。

 

世界は確率論的なものである。

というのも、人が取る手段が、望むような結果に

かならずつながっていく保証は、どこにもないからである。

自主管理の特質の1つは、この不確実性を管理し、

妨害や失敗に立ち向かいながら、自分の目標に到達することにある。

 

 

 

 


元記事:http://goo.gl/fXkJbF

(翻訳:服部聡子)