安全な職場環境の作り方:トランスジェンダー編
by ジェフリー・W・ハル
「ケイトリン・ジェンナー(※注: オリンピックの元陸上金メダリスト。性同一障害を公表))が、
あのように大勢が見ている場でカムアウトした勇気は賞賛します。
ですが、トランスジェンダーにとっては、ただ仕事で毎日職場に行くというだけでも、
本当に勇気が要ることなのです。
通勤というのは、ケイトリンには必要のないことだと思います。」
こう語ったジェレミー・ウォレスは、
私のリーダーシップ・トレーニング・プログラムのトランスジェンダーの参加者で、
『テイキング・ザ・シニック・ルート・トゥ・マンフッド
(男性として表舞台に立つまで)』
という回想録の著者でもあります。
彼の言う通りです。
統計を見ると、寂しい思いになります。
トランスジェンダーの人たちは一般に比べ、
自殺を試みる傾向が40パーセント高く、
失業中あるいはホームレスである傾向が50パーセント高いのです。
ケイトリン・ジェンナー、以前の名前はブルース・ジェンナーは派手に登場しましたが、
現実は厳しく、社会に生きる多くのトランスジェンダーの人たちは姿を見せないままで、
大企業などの大規模な組織の中では、リーダーシップを取る役職では言うに及ばず、
目にすることは滅多にはありません。
著名なセレブリティやスポーツ選手の「アウティング」は、今までのところは、
多くのトランスジェンダーの人たちが毎日生きている現実に対して、
ほとんど影響を与えてはいないのです。
▼トランスジェンダーの女優 ラバーン・コックス
トランスジェンダーの女優ラバーン・コックスが、
好評を博しているネットフリックスのドラマ
『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』に出演し、
タイム誌の表紙を飾り、
また、トランスジェンダーの生活を
生々しく描きだすテレビ・シリーズ
『トランスペアレント』が
ゴールデングローブ賞を受賞したことにならって、
ケイトリンの華々しいデビューは、
社会の意識の変革を加速するかもしれません。
アメリカでの最近の世論調査で、
70パーセントを超えるアメリカ人が、
トランスジェンダーの人々は職場での差別から守られるべきであると考えている
という結果が出ています。
このような注目を浴びやすい事例が突破口となってチャンスを生み出し、
本当の目的、つまりトランスジェンダーの人たちが安全に生き、働き、
成功を手にすることができる世界を作り出すというゴールを達成するための
きっかけとなるのかもしれません。
私は、大企業と大規模NPOを相手に
リーダーシップ・トレーニング・プログラムを主宰するエグゼクティブ・コーチであり、
また組織心理学者なのですが、
最近まで、自分のプログラムにトランスジェンダーの参加者を見ることは、
ほぼありませんでした。
これについてジェレミーに質問したら、すぐに返事が返ってきました。
トランスジェンダーの人々は、組織の中で立ち上がるとか目立つとかいうことが、
まだ非常に稀です。
実際のところはその逆で、目立たないように隠れたまま、
レーダーにかからないようにいたがるものなのです。
そして、完全な性転換のプロセスを選んだ場合は、
働くことを止めてしまうことも多いのです。
世の中の職場はほとんど、トランスジェンダーの人たちを歓迎していません。
なので、リーダーシップ・トレーニングに送り出すということは、
少なくともいまのところは、まず起こらないことなのです。
その通りかもしれないと、ジェレミーの返事を聞きながら、私は考えていました。
ですが、それでもジェレミーは、全国的に知られた権利擁護団体の会合で
登壇し発言できるように鍛えられています。
そして、ジェレミーは、もう1人ではないのです。
3人のトランスジェンダーの人々が、最近、私のリーダーシップ・プログラムに参加しました。
3人とも、とても印象的でした。
ボブ・ディランが歌ったように、「時代は変わる」のです。
ですが、私たち側の準備はできているでしょうか?
自ら進んで、広い精神と心をもって立場を改め、
ジェレミーのような新しいリーダーをただ認めるというだけでなく、
共に働き、あるいは上司として従うことはできるのでしょうか?
ジェレミーは四十代半ばで、エグゼクティブとして好調に、
ラスベガス近辺で複数のスモールビジネスのフランチャイズを経営しています。
ジェレミーをしてコミュニティに対して恩返しをしたいという思いにさせたのは、
実際のところ、ビジネスリーダーとしての成功があったからで、
それで最近、人権キャンペーンの地域リーダーに立候補してワシントンDCに送り込まれ、
私のリーダーシップ・プログタムに参加するに至ったのです。
4日間のリーダーシップ講習の間、私たちは、
ジェレミーの過去について十二分に話をすることができました。
ジェレミーは、少女として成長しながら、いつも
「自分は男の子だと思っていた」
と私に語りました。
男の子のすることはなんでもやっていたというのです。
木登りをし、お人形ではなくトラックや車で遊び、
アイスホッケーをやっていました。
ですが、幼少期と思春期をアメリカ中部で過ごしていた「ジェニファー」にとって、
実際に男の子のなれるなどということは、考えもしないことでした。
ジェニファーはただ孤独と憂鬱を募らせ、
「世の中に順応できず、自分のものではない体の中に囚われて、逃げ出すこともできない」
という、どうにもならない矛盾を抱えて生きていたのです。
ジェレミーが
「いままでずっと自分のものだと信じてきた、男という性別」に
実際になれてしまうと知るのは、この何年も後のことでした。
ですが、性転換の決断とその後の手術は、8ヶ月という「あっという間」におきました。
これについてジェレミーは、
「可能だと知ったとたんに、もうやろうと思ったのです!」
というふうに語りました。
だからと言って、それが簡単だったというわけではありません。
ジェレミーは、家族に告げるために勇気を振り絞った辛い思い出を語ってくれました。
その次は、フラインチャイズ先に少しずつ告げなければなりませんでした。
彼らは、ある意味では被雇用者という以上の、「家族のような存在」だったのです。
ですが、ジェレミーは仰天してしまいました。
一部の例外を除いて、多くが驚きはしたものの、最終的には受け入れてくれたからです。
私がジェレミーから学ぶことができた教訓は、
真実を伝えるそのプロセスが周囲の人たちにとって初めての経験であるのと同じように、
自分自身にとっても、初めてのことを学びながら経験していると伝えてしまうことで、
人々の理解を得やすくなり、性転換を受け入れさせやすくなるということでした。
ジェレミーは、その事実をどのように扱えばいいのか
周囲が理解しているとは期待していませんでしたし、
自分自身でもよく解っていなかったのです。
ジェレミーの外見は(何ヶ月もの期間を経るなかで)変化し、
男性としてのアイデンティティが真実だと常に感じていたその通りに、
最終的に、自分は男性であると言明したのでした。
ですが、真の姿は、心の奥底では変わってはいなかったのです。
と言うよりも、その反対だったのです。
ジェレミーは、ついに、本来の姿を手に入れていたのです。
ジェレミーは、自分は幸運だったと言わざるを得ないと言います。
家族は理解にあふれ、性転換を決意したときには、すでに自分のビジネスも好調でした。
国中の擁護団体で会う多くのトランスジェンダーの人々のように、
解雇を恐れる必要はありませんでした。
それでもジェレミーは、拒絶される恐怖、
気が触れている、とか、何の価値もない人間だ、などと見られる恐怖と戦っていたのです。
今日でもその戦いは終わっていません。
「私の経験上、トランスジェンダーにとっての本当の問題は、
社会から受容されること以上に、自分自身を受容することなのです」
とジェレミーは言います。
「何年もの間、自分は『何かがおかしい』という気持ちを根深く抱えて生きてきました。
今でも、ついに手に入れた自分のあるべき姿としての男性を鏡の中に見ると、
自分のその姿を受け入れて安心を感じるためには、
毎日、身構えるような思いをしているのです。」
この意味では、ジェレミーは、私たちと大きくかけ離れてはいません。
私たちは皆、自分の欠点、才能、
そしてありのままの私たち自身を受け入れなければならないからです。
また、ジェレミーの経験は、自己受容に加え、
職場での他者の受容についても多くのことを私たちに教えてくれます。
そこで私はジェレミーに、
チームのマネージャーが、メンバーにトランスジェンダーがいるとわかったとときに、
マネージャーとして、できるアドバイスは何かないかと尋ねました。
はじめは異質でぎこちなく感じられても、
それをチームメンバー全員の成長のチャンスに変えてしまうことができないか、
と尋ねたのです。
ジェレミーは、ポイントはとても単純ですが、簡単ではありません、と答えました。
そして、「全員が安心できるようにすることです」と言ったのです。
以下に掲げるのが、ジェレミーが教えてくれた、安心と受容の雰囲気を作り出すためのアドバイスです。
- 性同一性に関する諸問題点と使用する言葉について、
まず自分自身を教育すること(例えば、性的指向と性同一性は同じことを指してはいません)
2. オープンドアポリシーを徹底して、社員が性転換について話をしたいときに
アプローチできるようにすること。
そのために、以下のような点を実行すること:
・オープンドアポリシーについて、明文化すること
・実際にドアを開いておくこと(!)
・社員なら誰でも立ち寄って話ができるように、オープンドアの時間を定期的に定め、周知すること
3. 全てのトランスジェンダーの社員を個人として尊重すること。
性転換をどのようにアナウンスしたいか、本当のジェンダーをいつどのように公表したいかを
打ち合わせること。
4. 質問することを恐れず、誠実な間違いをおかすことを恐れないこと。
そして、知らないことは知らないと認めること。
5.ユーモアを忘れないこと。
ジェレミーは、自らの状況を説明しようとして、その結果、社員を困惑させ、
自分もぎこちなさを感じてしまったときは、
よく潤滑剤としてユーモアの力を借りたと教えてくれました。
「あのねえ、私自身もこんなことは初めてだよ」とは何度も言ったと言います。
「脇と足なら剃っていたけど、顔を剃る方は簡単にできるようになるかな?
肌を切ったり傷つけたりしないでできるようになったら、皆で一緒に乗り切れるはず!」
6.トイレ使用に関するルールは、社員の「カムアウト」を待たずに、
あらかじめ設定しておくこと
(例えば、トランスジェンダーの社員が、身体的な性別ではなく、
自認するジェンダーに沿った方のトイレを使用できるようにしておくこと。
あるいは、全てのトイレを、性別に関わりなく使用できるようにしておく。
トイレの使用に関する推奨される慣行については、アメリカ合衆国労働省のサイトを参照。)
7.職場の多様性に関するトレーニングについては、専門家に相談すること。
社員教育の責任をトランスジェンダーの社員に課するべきではありません。
(何かの「象徴」のように扱われたり、他の社員を教育するために
引き合いに出されたりするのは、ストレスとなりえます。)
8.性転換を行う社員を気にかけておくこと。
しかし、公私の区別は明確にしておくこと。
どのような職場環境にも当てはまりますが、まずフォーカスされるべきは仕事とパフォーマンスで、
トランスジェンダーの社員の個人的状況ではありません。
マネージャーが留意しなければならないポイントは、
話は注意深く聞き、協力的であるべきですが、
性転換のプロセスそのものに関わるべきではありません。
これは一個人からのアドバイスであって、
全てのトランスジェンダーのリーダーの経験を代表するものではありませんが、
トランスジェンダーの社員にとって安全な職場環境を作ろうと思案しているマネージャーにとっては、
スタート地点としては適当なものではないでしょうか。
ジェレミーのアドバイスを思い返してみると、もっとも顕著な点は、
6番目を除いて(トイレに関するルールは、独特な難しさがあります)、
他の全てのアドバイスが、トランスジェンダーに限らず、
どのような社員にとっても安全で活力が出るような環境を作るために最適であることです。
人間は、自分とは異なる者に対して恐怖を感じ、偏見を持ってしまうものですが、
心の知能に関する研究が、
共感し耳を傾け、共通の人間性を見出そうとする意志があれば、
これを克服することができると示しています。
ですが、そこに至るためにマネージャーは、
トランスジェンダーの人たちも、その他の社員も同じように直面する「異質さ」に向き合って
取り組む会話を行うための場を作る必要があるのです。
変化に向けて、機は熟しています。
ジェンナー(トランスジェンダーの人たちに対する社会的な認知を上げたことは称賛に値します)のような
セレブリティがいるからというだけでなく、
ジェレミーのようなリーダーが様々な組織で毎日のように登場しており、
自分自身のために、彼らのチームのために、そして彼らの雇用者のために
全力で貢献するためのチャンスを必要としているからです。
謙虚さ、ユーモア、そして堂々たる言葉を持ったLGBTQのリーダーたちが、
オフィスの給湯室には姿を見せ始めています。
ですが、姿を見せるだけにとどまらず、これに続いて新しい職場環境が到来し、
「異なること」が許容されるだけでなく、
温かく迎え入れられるようになることを、私は望んでいます。
隠されていたケイトリンという真実の姿が外に飛び出した今、
世の中の職場環境もついに社会の声を聞き入れなければならなくなるかもしれません。
そして、果てしなく多様で、クリエイティブで、そして才能に溢れた人々が、
安心でき、受け入れられ、お互いに耳を傾け、
リーダーとして皆に支えられていると感じられる場になるのです。
トランスジェンダーのリーダーとしてジェレミーが自身の経験について語り、
授けてくれた知恵に感謝しています。
ですが、ジェレミーのアドバイスで一番大切なポイントを思い出してください。
社内での教育という重大な責任は、トランスジェンダーの社員に個人的に課されてはなりません。
職場環境における多様性の専門家の助けがあれば、
寛容なチーム作りがしやすくなり、結果として、生産性の向上が期待できるでしょう。
知っての通り、組織というものは、社員がありのままの自分自身でいられる方が、
パフォーマンスが上がるものなのです。
(翻訳:角田 健)