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本:『産業界の未来』

The Industries of the Future

著者 アレック・ロス

 

イノベーションの先導者であるアレック・ロスは、この世界で次に起こること、

次の10年で私たちがどこまで前進するか、どのような障害にぶつかるか、

そうして私たちがどのように進んでいけば良いかを明らかにします。

 

著者であるアレック・ロスは、国務長官の下で、イノベーションに関する上級顧問を務める一方で、

世界中40か国を訪ねて、あらゆる大陸で出現した最新の発明を探求しました。

ケニアのスタートアップが集中する場所から、韓国の研究開発所まで、

ロスは、将来、起こりうるものに目をこらして来たのです。

 

『産業界の未来』の中で、ロスは、来たる10年間に変わるものを私たちに見せてくれます。

前進するためのチャンスに光を当て、繁栄を遂げる国、衰退する国を示します。

また、ロボティックス、サイバー・セキュリティー、ゲノミクスの商業化、

ビッグ・データの次の1歩、デジタル技術がお金や市場に与える影響といった

私たちの未来の経済をなによりも形づくる特別な分野を、分析していきます。

 

これらのそれぞれの領域において、ロスは、きわめて厳しい問題を指摘します。

仕事の質の変化に、私たちがどのように適応していけば良いのか。

サイバー戦争の可能性は、次の軍拡の引き金になっていくのか。

世界の新興国のイノベーション中心地は、シリコン・バレーに匹敵するのか。

今日の親世代は、子供たちにどのような未来の準備をさせればよいのか。

 

ロスは、たくみなストーリーテリングと経済分析をブレンドしながら、

広汎な世界的趨勢が、私たちの生き方にどのような影響を与えていくか

鮮明で、情報に裏打ちされた見解を、明らかにしてくれます。

テクノロジー産業の大御所から防衛専門家にいたるまで、

幅広い分野の指導者の知見が集まった『産業界の未来』は、

私たちの多くが重要だと感じながらも、その複雑さに尻込みている話題を、

要約し、明確に、解き明かしてくれるのです。

 

本書は、今日と明日、世界がどう動いていくのかを理解するために、

あらゆる国の、あらゆる分野のビジネスに携わる人々が読まなければならない、

必須の一冊と言えるでしょう。

 

 


元記事:http://amzn.to/1na9FV3

(翻訳:服部聡子)

 

 

 

本:『ロボットの台頭』

Rise of the Robots: Technology and the Threat of a Jobless Future

『ロボットの台頭 テクノロジーと未来の失業の脅威』

著者 マーティン・フォード

 

未来の仕事とは何でしょうか?

仕事はどのくらいあるのでしょうか?

そうして、誰がその仕事に就くのでしょうか?

私たちは、今日の「湾業革命」が、過去の産業革命のように展開していくのではないか、

つまり、いくつかの仕事がなくなったとしても、新時代のイノベーションによって、

さらに多くの仕事が創出されるのではないか、と予想し、また期待しています。

 

ところが『ロボットの台頭』の中で、シリコン・バレーの起業家であるマーティン・フォードは、

事態は決してそのようにはならないだろうと主張しています。

 

テクノロジーが加速し続け、機械がみずからの修理をするようになると、

ほとんど人手は必要なくなります。

人工知能はすでに、いわゆる「良い仕事」を、時代遅れのものにしようとしています。

パラリーガルやジャーナリスト、事務職員、コンピューター・プログラマーさえ、

ロボットやソフトウェアに取って代わられようとしています。

 

機械の進歩とともに、ブルーカラーの仕事もホワイトカラーの仕事も消えていき、

中流階級の過程は、次第に圧迫されていくでしょう。

同時に、家計は増大するコスト、

とりわけ教育とヘルスケアの二大領域の費用の増大にさらされることになります。

というのも、情報テクノロジーが進歩しても、この2つの分野は、

大きな転換が起こっていないからです。

その結果、大量の失業者が生まれるだけでなく、

消費経済も崩壊しかねません。

 

『ロボットの台頭』の中で、著者であるフォードは、

人工知能とロボット工学に何ができるかを、詳細に述べていき、

労働者であろうと学者、政治家であろうと、みんながこの推測に

しっかりと目を向けることを要請します。

過去の技術的な混乱に対する解決策、とりわけ訓練と教育を強化することは、

もはや効果はないでしょう。

そうして私たちは、今すぐに、決断しなければなりません。

広汎な繁栄か、破滅的規模での不平等と経済的不安定か。

 

『ロボットの台頭』は、加速する科学技術の進歩が、

今後の世界経済に、子供たちの未来は言うまでもなく、社会全体のこれからに、

どのような意味を持つのかを理解したい人にとって、

必読の書と言えるでしょう。

 

 

 


元記事:http://amzn.to/1J0cCRl

(翻訳:服部聡子)

 

 

ミレニアルの高い買い物

by デレク・トンプソン

 

 

近頃まで若者たちは、自家用車には見向きもせずに公共交通機関を利用し、

カーシェアリング・アプリを使用してきました。

しかし今、若者たちが自動車ディーラーに姿を表すようになっています。

そう、親たちの世代と同じようにです。

 

物書きという職業の害は、発表した内容が誤っていることも多々あることであり、

また場合によっては、それを目にした読者の頭にまで同じ誤りを刷り込んでしまうことです。

数年前に、私はジョーダン・ワイスマンとともに、若者たちが先の大不況に恐れをなして、

郊外に一軒家を買い自家用車を持つという文化から顔を背けてしまうのではないか、

という記事を書きました。

 

この二つの高額な買い物は、これまでに起こってきた恐慌においては、

国の経済のけん引力となっていたものです。

この記事について私は何年もの間フラストレーションを感じていたのですが、

それはコメント欄の意見がどれも、

私たちが書いていない「安上がりな世代」という3語だけを読んで書いたのではないかと疑うほど、

記事の内容を把握していないことでした。

 

この3語は見出しの文言で、私たち筆者が書いたものですらなかったのです。

しかし今週、この記事について新たなフラストレーションの原因ができてしまいました。

私たち筆者にとっては大変不都合ながら、現実が私たちの予想を裏切り初めたのです。

 

2011年と2012年初頭にこの記事を執筆した時点では、

若者たちの自動車離れが進んでいるとして、メーカー各社は疑う余地のない恐怖を感じていたのです。

フォードのグローバル消費者トレンド研究のリーダー、シェリル・コネリーは、

若者たちは「所有することよりアクセスできること」に意味を見出している、と言いました。

「自動車購入について、ミレニアル世代の考え方が

ベビーブーマー世代の考え方と一致することはないと考えています」

とも言ったのです。

 

若者たちが都市中心部に住むようになり、

若い家族を乗せて走っていた自家用車は公共交通機関に取って代わられて、

また十代の若者にとっては初めて手にする自分の車というものは独立心や社会とのつながり、

責任感を体現するものでしたが、それもスマートホンによって置き換えられるだろうというものでした。

 

今週、ブルームバーグがJ.D. パワー・アンド・アソシエイツのデータをもとに、

ミレニアル世代、またの名をジェネレーションY(基本的には、1980年代から1990年代生まれを指します)が、

すでに新車販売台数の27%を占めていると報道しました。

この数字は、1961年から1981年生まれを指すジェネレーションX向けの台数をすでに追い抜いており、

その上を行くのはベビーブーマー世代のみになるというのです。

 

私はこの記事を、歯ぎしりしながら読みました。

そして、顔を真っ赤にして、

まるでスポーツカーのドライバーがドリフト走行でハンドルを握りしめる様子さながらに、

私は自分の確証バイアスにかじり付きながら、J.D. パワーにメールを送ったのです。

ミレニアル世代の自動車需要は実際は急伸などしていないと言える何がしかの証拠が欲しくて、

データの送付を依頼したのでした。

 

今、そのデータを目の前にして、私にもこう言い切ることができます。

ミレニアル世代の自動車需要は急成長しています。

若い世代への新車販売台数が、定規で引いたように一直線の右肩上がりで伸びているのです。

 

【ジェネレーションYはジェネレーションXより多く車を買っている】

 (

【新車販売台数の世代別シェアではジェネレーションYだけが伸びている】

なので、自分たちで立てたCheap Generation説に自信が持てなくなってきてしまった訳です。

とはいえ、間違いだったと完全に納得しきったわけではありません。

コネリーの主張で大切な

「ミレニアル世代の自動車購入に対する考え方が、

ベビーブーマー世代の考えと同じになることはないと考えています」

という言葉は、それでも現状を正確に表しているのです。

ミレニアル世代の半数以上は25歳を超えているにもかかわらず、

その親の世代の購入台数を下回っています。

また、ミレニアル世代の購入台数はジェネレーションX世代を上回ってはいますが、

ミレニアル世代は人口そのものもまた1,500万人から2,000万人多いのです。

 

さらに、自動車業界に吹く逆風は、ミレニアル世代の懐事情だけではないのです。

アメリカの自動車販売台数のピークは15年前の2000年に1,730万台でしたが、

さらに当時は顧客数もかなり少なかったのです。

その一方で、一人当たり走行距離はブッシュ政権中期から落ち始めています。

昨年にやっと、10年ぶりに上向きになったばかりです。

購入台数も運転距離も減少しているのであり、これは構造的な変化と思われるのです。

【一人当たりの走行距離(青)と走行距離の総計(赤)】

そして、私たちが立てた他の予想はどうでしょうか?

郊外に立つ柵で囲われた庭付き一戸建てというアメリカンドリームの象徴を、

若者たちは拒絶しているのでしょうか?

ここでも、話の筋は同じでした。

2012年当時に正しく予想できた部分もありましたが、

テキサスなどサン・ベルト地帯の今日の好況に見られるように、

アメリカの不動産景気これほどまでに素早く立ち直れるとは

予想できていなかったのも事実なのです。

 

大卒で20代から30代の裕福な層が、密集した都市部に住む傾向が

20年前に比べて非常に顕著なのは、

ベン・カッセルマンとジェド・コルコの説明する通りです。

全体で見ればごく一部でしかないこの豊かなグループを

ミレニアル世代全体と同義語のように語るメディアもありますが、

これは記事を書いた記者が、イーストコーストやウェストコーストの

大都市にあるバーに通うようなタイプの人間だったからかもしれません。

それらのバーの客層がこのような豊かな層と一致するものだから、

それがミレニアル世代の全体像であると誤解してしまっているのかもしれないのです。

ですが、ブルックリンやワシントンDC、オークランドなどから一歩足を踏み出せば、

世の中一般での話は全く変わってくるのです。

実際のところ、25歳から34歳で大卒学位を持たない層(本来はこちらが大多数です)が

都市部に住む傾向は2000年前後に比べて弱まっています。

また多くは、余裕ができ次第に郊外に移っているのです。

Craftsman House

ということで、ジョーダンと私の記事は誤りだったでしょうか?

私たちは、ミレニアル世代はその親たちの世代ほど

自動車に乗ることはないだろうと予測したのです。

そして現状がその通りであることに間違いはありません。

郊外型住宅の建設業界には長期間の悪影響が出るかもしれないと書きましたが、

これは間違いなく今日にも当てはまります。

ですが私たちは、より広い意味では、

現状を維持しようとする強烈な逆風を予測できていなかったのです。

 

若者というものはやはり自動車を買い、都市から郊外に抜け出し、

そしてカロライナからテキサスを抜け北西沿岸部にまで広がる、

陽光眩しい土地に住処を求めるものなのです。

 

若い世代が変にませているのを見るのは嫌なものです。

ですが、ジェネレーションYは、それよりさらに酷いものに変わってしまう恐れを秘めていました。

それは、退屈極まりない普通な世代になってしまうことなのです。

 

 


元記事:http://theatln.tc/1Ob8Czq

(翻訳:角田 健)

 

 

仕事のやりがいに関する3つの嘘 

「やりがいのある仕事」というと、どんな仕事を思い浮かべるでしょうか。
立派な組織に所属して、立派な指導者の下で働けるような仕事?
けれども『GIVE & TAKE 与える人こそ成功する時代』の著者であるアダム・グラントは
そんな通説は嘘だ、といいます。
「仕事のやりがいに関する3つの嘘」とは、いったい何なのでしょうか?
元記事:http://linkd.in/1AHAsI4
by アダム・グラント
 

「砂糖水を売るか、世界を変えるか?」

1980年代、スティーブ・ジョブズは、当時ペプシ社にいたジョン・スカリーを

アップルへ引き抜こうとして、最後にこんな問いかけをしました。

「君は残りの人生を、砂糖水を売って過ごしたいのか、

それとも僕と一緒に世界を変えたくはないのか?」

当時、自分の仕事のやりがいを見つけられるかどうかは、

所属する組織に大きく左右されるものでした。

個人の目的意識も、所属する会社での役割から生じていました。

砂糖水を売ることに、たいした意味はなく、

一方、コンピューターの改革は、きわめてやりがいのある仕事だったのです。

けれども今日、あなたがどこで働いているかは、大きな問題ではありません。

そうして次の10年のうちに、事業主が誰であるかさえ、

誰も気に留めなくなっていくことでしょう。

 

やりがいのある仕事とは

調査によると、今日アメリカで多くの人が考える「やりがいのある仕事」とは以下のものです。

  • 聖職者及び宗教教育・活動の指導者:97%
  • 外科医:94%
  • 初等・中等教育アドミニストレーター:93%
    (※幼稚園や小中学で教育やケア活動を計画・コーディネイトする仕事)
  • カイロ・プラクター:93%

この4種類の仕事には、共通点があります。

そうしてこれらの仕事が、私たちが考える「やりがい」の嘘を、明らかにしてくれるのです。

Corps visits Godley Station Elementary School

 

その1. やりがいはどの組織で働くかで決まる、という嘘

 

やりがいを見つけるためには、アップルのような会社に就職しなければならない、

ということはありません。

上記の「やりがいのある仕事」はいずれも、

特定の組織に所属しなければならないものではなく、

さまざまな場所で働いている人が大勢いる職業です。

 

外科医は、週にいくつもの病院をかけもちしながら働くことも多い仕事です。

教育アドミニストレーターは、学校から学校へと移っていきます。

カイロプラクターも、さまざまな場所で施療します。

仕事は一定ですが、働く組織はさまざま。

つまり、組織ではなく、従事する活動によって識別される仕事です。

ダニエル・ピンクは『フリーエージェント社会の到来―「雇われない生き方」は何を変えるか』

の中で、「バイバイ、組織人」と言っていますが、

まさに「どこで働くか」と「やりがい」は無関係なのです。

 

その2. やりがいのある仕事は知的な職業である、という嘘

 

やりがいを見つけるためには、かならずしも知識労働者である必要はありません。

ひょっとしたら、先進工業国では、製造業を中心とする経済から、

知識集約型経済に転換した、という話を聞いたことがあるかもしれませんが、

実際には事実ではありません。

サービス産業が中心の経済なのです。

そうして、この誤解から2番目の嘘が生まれています。

アメリカでは、ほぼ10人のうち3人が、知識労働者です。

一方、サービス産業に従事する人は、アメリカの労働人口の約8割を占めています。

世界のGDPのうち、サービス部門の占める割合は、1980年代半ば以降、ほぼ3分の2を占め、

アメリカでは80%、EUでも73%を占めています。

多くの人が考える「やりがいのある仕事」は、すべてサービス業なのです。

外科医やカイロプラクターは、健康を促進する仕事。

聖職者及び宗教教育・活動の指導者は、精神の健康を。

教育者は、社会と精神の健康を。

もしこうした職業が存在しなかったとしたら、

人間はきっと今よりずっと悲惨なものになっていたでしょう。

つまり、やりがいのある仕事とは、ほかの人の生活を、よりよいものにする仕事なのです。

Frontier Sentinel 12

その3. やりがいは、理想的な上司がいるかどうかによる、という嘘

 

やりがいのある仕事をしようと思えば、スティーブ・ジョブズの下で

働かなければならない、というわけではありません。

目的は、上司が台本を書いてくれるものでも、

カリスマ的な指導者のひらめきによって与えられるものでもないのです。

そうではなく、その仕事に実際に携わっている人によって、形成されていくものです。

研究者であるエイミー・レズネスキーとジェーン・ダットンは、

このことを「ジョブ・クラフティング」と呼びます。

主体的に自分の仕事を活性化するように組み立て直していこう、というのです。

ふたりは、もっと大きなやりがいを求める医師と行動を共にしました。

彼は他の医師たちと相談する時間を削って、

多くの時間をレジデントのために講義をする時間を増やそうとしていました。

さらにふたりは病院の清掃員のグループにも出会いました。

彼らは職務範囲外であるにもかかわらず、患者の世話をするために独創的な方法を見つけ出し、

結果的に自分たちの仕事を、もっとやりがいのあるものにしていたのです。

清掃員のひとりは、昏睡患者のいる病棟で働いていました。

そうして壁の絵を並べ替えることを通じて、患者たちの覚醒をうながそうとしていました。

本来、意味づけるとは、自分を表現する行為であり、

仕事の意味とは、仕事を通して自分が何者なのかを明らかにする機会のことです。

仕事について、何百人という人とのインタビューを終えたスタッズ・ターケルは、

「仕事とは、日々の糧を探すものであるのと同様に、日々の意味を探るものである」

と言いました。

それを見つけるために、自分がどこに所属するかではなく、

自分が実際にやっていることの意味を理解することが大切なのです。

やりがいとは観念ではなく、人と人の結びつきのなかに生きているものです。

そうして、それはどこかから降ってくるものではなく、私たちの底から上がってくるものなのです。

 

 

 


元記事:http://linkd.in/1AHAsI4

(翻訳:服部聡子)

 

 

ガイ・カワサキから高校を卒業する君たちへ

1995年6月、ガイ・カワサキがパロ・アルト高校で行った卒業式訓辞

元記事:http://linkd.in/1EHShcG
(※この記事の翻訳は著者からの承諾を得てあります)
 
今日、ここでみなさんにお話できるのは、私の人生にとって画期的な出来事です。
 
私は40歳です。
22年前、私はみなさんの席にいて、自分が40歳になる日など、決して、絶対に来るはずがない、と信じていました。
あなたがたを前にスピーチするということの意味を思うと、私は少し怖ろしくなります。
 
ひとつには、私の卒業式で40のおっさんが話すのを聞きながら、こんなやつ絶対に信用するもんか、と思っていたからです。
私は、みなさんが危惧しているような、退屈なスピーチをするつもりはありません。
このスピーチは、短くて楽しい、退屈ではないものにしたいと思っています。
 
私は今日、大人になってから過去を振り返り、初めて理解できたことの話をしようと思います。
いわゆる後から出て来た知恵、みなさんがいるその席から、こちら側にくるまで、
私が20年間にわたって蓄積してきた知恵のことです。
 
やみくもに私の話を信じてはいけません。
私が「真実」だということを、そのまま受け取らないでください。
ただ、よく聞いてください。
たぶん私の経験が、少しは役に立つこともあると思いますから。
 
ここではデイビッド・レターマンの『レイト・ショー』にならって、
トップ・テン・リストの形式でお送りしましょう。
ええ、40才の老人でも、まだ11時過ぎまで起きていられるんです。

第10位: できるだけ親のすねをかじってください

2年前、ここで私が卒業式のスピーチをおこなったとき、これが一番人気のある後知恵でした。
もっとも、親御さんの見方はちがいましたが。
ともかく、そのことで私は自分が間違っていないことを知ったのです。
 
私は高校、大学を通じて、まじめな東洋人でした。
カレッジレベルの授業を受け、単位を履修して、3年半でしゃにむに大学を終えました。
旅行もしなかったし、休みも取りませんでした。
というのも、そんなことをしていると、仕事の準備ができないじゃないか、
卒業が遅れてしまうじゃないか、と思っていたからです。
 
正直に言いましょう。
私はせっかくのチャンスをふいにしてしまいました。
みなさんは、残りの一生を働いて過ごさなければならないのです。
ですから、スタートを焦ってはいけません。
大学教育は、長引かせなさい。
今は、人生を胸いっぱいに吸いこむ時間です。
住宅ローンや車のローン、子供の教育費を抱える前に。
 
外国旅行をするために、一学期そっくり使ってください。
就職やインターンシップにお金なんか使わないでください。
ご両親の小金(もしかしたら大金かもしれませんが)を使いながら、
自分が夢中になれるものを探求してください。
 
大学の在籍期間は、少なくとも6年までは延長することができます。
職場に入り、君たちよりもものを知らないくせに、お金だけはたくさん稼いでいるような連中の
奴隷になって働く期間は、可能な限り遅らせましょう。
加えて、子供を養う楽しみを、ご両親から奪ってしまうべきではありません。
 
Absaroka-Beartooth Wilderness, Goose Lake

第9位 幸せではなく、喜びを追求してください

きっとこれが、一番むずかしいレッスンになると思います。
おそらく君たちは、人生のゴールが「幸せになること」だと思っているでしょう。
犠牲を払いながら、一生懸命勉強して、仕事したとします。
けれども、そこで得られる幸せは、概して予測通りのものです。
 
いい家、いい車。すてきな物。
嘘だと思わないで聞いてほしいんですが、幸福なんてものは、ほんの一瞬の、はかないものです。
 
それに対して喜びは、予測できません。
喜びは、興味のあることを夢中になって追求しているときに訪れますが、
これは幸福のように、目に見える結果となって現れるものではありません。
 
幸福ではなく、喜びを追求する。
このことは、これから先、数年間は、つぎの言葉に翻訳できるでしょう。
 
自分が心から好きなことを勉強する、ということです。
これも保護者の方には人気のないものなんですが。
 
私の大学時代は、言わば「マーケティング主導型」でなされました。
あとひとつ、東洋的な事情です。
私はもっとも就職のチャンスがありそうなところをねらい、それに向けて準備をしたのです。
 
まったく愚かなことでした。
世の中で生計を立てるには、実にたくさんの方法があるし、
「正しい」コースを選択するかどうかなど、どうでもいいことなのです。
当初のマッキントッシュ・チームに、古典的な「コンピューター・サイエンス」の学位を
持った人はいなかったはずです。
 
保護者の方々は、地域での責任がおありだと思います。
でも、お子さんには、どうか自分の跡を継がせよう、自分の夢を叶えさせよう、とはなさらないでください。
私の父は、ハワイ州の上院議員でした。
父の夢は、弁護士になることでしたが、高校までの教育しか受けることはできませんでした。
そこで私を弁護士にしたがったのです。
 
父のために、私はロー・スクールに進みました。
そうして自分のために、そこを2週間で止めました。
これによって、自分が本来持っていた知性がどのようなものだったか、
はっきりと実証したのだと思っています。

第8位 既知のものを疑い 未知のものを受け入れよう

君たちが人生で犯しやすい最大のまちがいは、知っていることを受け入れ、知らないものに抵抗することです。
ほんとうは、そのまったく逆でなければなりません。
つまり、よく知られていることに疑問を抱き、未知のことは受け入れるのです。
 
氷についての短い話をひとつしましょう。
1800年代、氷産業は北東部で栄えた産業でした。
いくつもの会社が、凍った湖や池から氷のかたまりを切り出し、世界中に売っていたのです。
一度で最大、200トンの氷が船積みされ、インドに向かいました。
溶けずにそこに着いたのは、100トンでしたが、それでも十分な利益をあげたのです。
 
けれども氷産業は、氷を製造する機械を発明した会社に敗北しました。
いつでも、どこでも氷を作ることができる会社の出現によって、もはや氷を切り出し、船で運ぶ必要がなくなったからです。
 
ところが製氷メーカーも、冷蔵庫会社にビジネスを追われることになりました。
製氷工場で氷を作ることにくらべて、自宅で冷凍保存することがどれほど便利か、想像してみてください。
 
君たちは、氷の切り出し業者たちは、製氷業者の強みを目の当たりにして、彼らの技術を取り入れようとした、と思うでしょう?
けれども、彼らが実際に考えることができたのは、すでに知っていたことばかりでした。
もっとよく切れるノコギリ、もっといい倉庫、もっといい輸送機関。
 
つぎの製氷業者たちも、冷蔵庫の利点を見て、そのテクノロジーを取り入れたと思うでしょう?
でも、実際には、氷の切り出し業者も製氷業者も、知らないことを受け入れることができず、
自分たちの成長カーブから、つぎの成長カーブへと、ジャンプすることができなかったのです。
 
すでに知っていることを疑い、知らないことを受け入れてください。
そうしなければ、君たちも、氷の切り出し業者や、製氷業者と同じことになります。
 
Filling the Ice House

第7位 外国語を学び 楽器を演奏し ノンコンタクト・スポーツをしよう

外国語を学んでください。
私は高校でラテン語を学びました。
そうすれば、ボキャブラリを増やすことができるだろうと考えたからです。
実際、そうなりました。
 
けれども、今日ではラテン語を使って会話しようにも、バチカンを除けば困難をきわめます。
それに、私があんなに苦労したにもかかわらず、ローマ教皇は私にアドバイスを求める電話をしてくれません。
 
それから、楽器を弾けるようになってください。
今日、私と音楽の唯一のつながりは、私がガイ・ロンバードにちなんで名づけられたということだけです。
それで良かったことといえば、たったひとつ、ガイのお兄さん、カーメンにちなんで名づけられなかった、ということだけ。
今思えば、楽器を演奏できていれば、一生、音楽と一緒にいられたのです。
その代わりに私はタワーレコードでCDを買わなくてはなりません。
 
私はフットボールをやっていました。
フットボールが大好きでした。
フットボールはマッチョなスポーツです。
しかも私はインサイド・ラインバッカーで、
ほぼまちがいなく、マッチョなスポーツの中でも、もっともマッチョなポジションでした。
 
けれども、君たちはバスケットボールや、テニスなどの、ノンコンタクト・スポーツもやっておかなければなりません。
つまり、盛りを過ぎても楽しめるスポーツです。
40歳になって、22人の男を集めて、スタジアムでフットボールをすることは、
ラテン語で会話するのと同じくらい、むずかしいことです。
けれどもかわいらしい、白いテニスウェアを着た人なら、今でもテニスを楽しむことができるのです。
おまけにマッチョなフットボール選手たちはみんな、
今ではすわってぼーっとテレビを見ながら、ビールを飲んでいるのですから。
USC vs. UCLA Football 2012

第6位 勉強を続けよう

学ぶことはプロセスであって、一回限りのイベントではありません。
私は、学位を取ったとき、これで自分の勉強は終わった、と思いました。
けれども、これは真実ではありません。
 
勉強をやめてはいけません。
事実、いったん学校を出てしまうと、勉強はむしろ簡単になってくるのです。
というのも、どうして学ぶ必要があるのか、関連性が見えやすくなってくるからです。
 
君たちは今、組織化された専用の環境で学んでいます。
ご両親のお金を使って。
でも、学校と学ぶことを混同しないでください。
学校へ行っても、ひとつも学ばないことがあります。
逆に、学校へ行かなくても、おそろしくたくさんのことを学ぶこともできるのです。

第5位 自分を好きになることを学ぶ あるいは自分が好きになれるまで 自分を変える

私はドラッグの常用者だった過去を持つ、40歳の女性を知っています。
彼女には3人の子供がいます。
彼女がドラッグを常用するようになったきっかけは、高校でマリファナを吸ったことでした。
 
私は別に君たちに、ドラッグをするなとお説教するつもりではありません。
実は、私も高校でマリファナを吸ったことがあるんです。
ビル・クリントンとはちがって、私は吸いこみました。
もうひとつ、ビル・クリントンとはちがって、その煙を吐き出しもしました。
 
この女性が私に語ったところによると、
彼女はしらふのときの自分が大嫌いだったせいで、ドラッグを始めたのだそうです。
ドラッグが好きだったわけではなかったのだけれど、あまりに自分が嫌いだったのです。
彼女はドラッグが解決策になると考えたのであって、ドラッグが原因ではありませんでした。
 
自分の人生が下降スパイラルをたどっていることに気がつき、初めて彼女は人生を変えようとしたのです。
自分の問題を解決してください。
自分の人生を整えてください。
そうすれば、ドラッグなど必要ありません。
ドラッグは解決策でもなければ、ドラッグが問題でもないのです。
 
率直に言わせてもらうと、喫煙、ドラッグ、アルコール、あと、IBMのパソコンを使うことは、愚かさの証しです。
この点に関する反論は受け付けません。
 
childish melancholy

第4位 あまり早く結婚しない

私は32歳で結婚しました。
ちょうどいい年齢だったと思います。
君たちもその年ごろになるまでは、自分がいったい何者なのか、おそらくわからないでしょう。
そうして、自分が誰と結婚しようとしているのかも、わかっていないはずです。
 
遅すぎる結婚をした人を、私は知りません。
早すぎる結婚をした人は、大勢知っています。
どうしても結婚するんだ、と決めたなら、
彼もしくは彼女が今、何をしていたとしても、相手をそのまま受け入れる必要がある、
ということを、心に留めておいてください。

第3位 勝つために勝負し 勝負するために勝つ

勝つために勝負することは、君たちにできるもっともすばらしいことのひとつです。
それによって、君たちは潜在能力を開花させることができます。
さらに、君たちがほかの人のために、世界をよりよくすることができるし、
より便利なものにすることができる、より高い展望を切り開くこともできるのです。
 
もし負けてしまったらどうでしょう?
負けるときは、かならず何か立派なことに挑戦してください。
プリンストン大学経済学部教授、アビナッシュ・ディキシットと
イェール大学スクール・オブ・マネジメント教授バリー・ネイルバフはこのように言っています。
 
「失敗することになるとしたら、困難な任務で失敗した方がいい。
失敗は、将来、あなたに対する期待値のグレードを下げることになるだろうから。
失敗が致命的になるかどうかは、あなたが何をやろうとしているかにかかっている」
 
単純に言うと、勝つことは君たちと、君たちの競争相手を向上させるための手段であって、目的ではありません。
 
さらに、勝つことは、もう一度、勝負するための手段でもあります。
試されることのない人生は、生きるに値しませんが、空疎な人生は試す必要もありません。
勝利によってもたらされたお金や力、満足や自尊心は、浪費されるべきものではないのです。
 
勝つために勝負することのほかに、君たちには第2の、もっと重要な義務があります。
もう一度、自分の魂がより深く、幅広く、高くまでたどりつけるように、勝負することです。
結局のところ、君たちの最大の競争相手は、自分自身なのですから。
 
11-05 Bsktbll - Chaos vs Rivals 97

第2位 絶対性に従う

勝つために勝負することは、汚い勝負をしてもいいということではありません。
歳を取ればとるほど、ものごとは絶対的なものから、相対的なものに変わっていきます。
君たちが幼かった頃、嘘をつくこと、だますこと、盗むことは、絶対に悪いことでした。
 
君たちが歳を取るにしたがって、とりわけ仕事をするようになれば、
「システム」に取り込まれて、相対的な言葉でものごとを考えるようになるでしょう。
「自分はよりたくさん金をもうけた」
「自分はもっといい車を持っている」
「自分は休暇でもっといいところへ行った」
 
悪いことに関しても、「自分はパートナーほどひどく税金をごまかしていない」
「ほんの2,3杯飲んだだけだ、コカインはやっていない」
「自分は所要経費をほかの人ほど水増ししていない」
 
これはまったくの誤りです。
できるだけ、絶対性を守り、それに従ってください。
嘘は絶対つかない、絶対ごまかさない、絶対盗まない。
誰が嘘をつき、どのようにごまかし、何を盗んだかなどは覚えておく必要はまったくないのです。
絶対に、絶対的な善と悪は存在するのです。

第1位 家族や友だちがいなくなってしまう前に 一緒に楽しもう

これは何よりも大切な後知恵です。
多くの説明は必要ないでしょう。
ただ、繰りかえすだけです。
 
家族や友だちがいなくなってしまう前に、一緒に楽しんでください。
 
ひとたび彼らがいなくなってしまえば、お金も、権力も、名声も、代わりにはなりませんし、
呼び戻すこともできません。
 
私たちに最高の喜びをもたらしてくれたのは、私たちの赤ちゃんでした。
今度は君たちの人生で、子供たちが最高の喜びをもたらしてくれることでしょう。
とりわけ、子供たちが4年間で大学を卒業してくれたなら。
 
Family Portraits
 
それからもうひとつ、君たちには特別な後知恵を授けることにします。
おそらく君たちのご両親は、今日私のために数千ドル払ってくださったでしょうから。
ただ、これは私も認めるのがいやなんですが。
 
歳を取るに従って、君たちも親が言うことは正しかったとわかるようになります。
 
ますますそんな場面は増え、最後には、君たち自身が君たちの親となるのです。
私には、いつか君たち全員が「ああ、ほんとうにその通りだった」と言う日が来ることがわかります。
私が言ったことを、よく覚えておいてください。
 

 


元記事:http://linkd.in/1EHShcG

(翻訳:服部聡子)

ミレニアル世代のMBAホルダーが求めるもの

 

1980年代から2000年までに生まれた「ミレニアル」世代のビジネス・スクール卒業生たちは、

給与にさほどの重きを置いておらず、

それよりは充実感や社会的影響を持つこと、起業家精神などを重視していることがわかりました。

 

ウォートン・スクールの2014年の卒業生のうち、

起業、もしくは自営業に就いたのは55名で、 これは5年前とくらべると、50%の増加になります。

 

また、ロンドン・ビジネス・スクールでは、

MBA卒業生が金融サービス業界に就職する割合が、

2007年の段階では46%であったのに対し、昨年は28%まで低下しました。

 

「ビジネス・スクールに志願するミレニアルズに関心があるのは、

社会事業や『良いことをして収益を上げる』ことなのです」

MBA入学コンサルタント業をおこなっているエッセイ・スナークは語ります。

 

「彼らは終身雇用などというものは、夢にも考えていません」

Business Because

 

MBA卒業生にとって、銀行や大手コンサルタント会社は、

何か他の仕事に移る前に、スキルを身につける場でしかないようです。

 

事実、一企業にとどまる人にとって、昇進はよりむずかしいものとなりつつあります。

ウォール・ストリートで働く 「圧迫された中流」(※訳注)

(※社会の中で、 インフレと増税の打撃をもっとも強く受けるとされる中流階級を指す)

の30代銀行家は、 昇進の機会がほとんどないのではないか、という危機感を抱いています。

 

たとえばゴールドマン・サックスは、取締役会への昇進を2年ごとに行っていますが、

2010年にくらべて2012年は、その数が39人も少なかったのです。

そこから最終的に共同経営者の地位まで上りつめることができるのは、

限られたほんの数名でしかありません。

 

多くの学生たちは、大企業で働くことを、疑い始めています。

女性の卒業生たちもまた、銀行に入ることを優先しなくなり、

eコマースやテクノロジー・セクターに関心を持つようになっている。

 

「ミレニアル世代の一員として、私たちは男子学生よりも、『成功』に焦点を当てています。

自分たちの情熱で、成功を引き寄せたいのです」

と、MBA卒業生でeコマースサイト VIP SOULを創設したファビオラ・パロミノは語ります。

 

ビジネススクールの側も、こうした学生の「社会貢献をしたい」という意欲に答えようとしています。

 

オックスフォード・サイード・ビジネススクールの学部長であるピーター・テュファーノは

「世界規模の問題に取り組むことが、ビジネス・スクールの目標なのです」

と言います。

 

エスマー・チフィエロは、アストン・ビジネス・スクールの卒業生です。

彼女は国連開発プログラムで、3年間ナイジェリアで過ごしたあと、

現在は、母校のアストン校で、ハルト・プライズのキャンパス・ディレクターとして働いています。

ハルト・プライズとは、次世代の社会貢献活動を担う学生を募るコンペティションです。

「大勢の人の命を救うために、社会に影響を与えることは、 何より充実感があるし、

自分が生きていく上で『成功している』と感じられます」

と彼女は語っています。

 

ビジネスビコーズ・ニュース


元記事:http://bit.ly/1yFkJse(抄訳)

(翻訳:服部聡子)

 

仕事が悪夢に変わる理由

by ロバート・ライシュ

 


2014年、オックスフォード大学より出された「10年後多くの職業がコンピュータに取って替わられ、

現在の仕事は半減する」という予測は、大きな衝撃を巻き起こしました。

コンピューターに職を奪われた人間はどうしたら良いのか?

そんな危機感に対する答えのひとつが、「共有型経済(またはシェアリング・エコノミー)」です。

インターネットを活用して、車や部屋の所有者が、それを求めている人と直接交渉し、空いた施設や時間を活用しよう。

「所有」→「共有」へと意識転換を図ることによって、仕事が減少しても人々が幸せになれるような社会を築こう……

そうした理想を掲げる「共有型経済」に対し、本稿の著者、ライシュは厳しい現実をつきつけています。


 

「共有型」経済は残りカスの共有

パターンが定まった仕事はプログラムされたロボットが何でもこなし、

利益の全てはロボットの持ち主が吸い上げる、

そんな経済が支配する世界に住むというのはどんなものでしょうか?
そのような世界で人間が取り組むのは、パターンが定まっておらず予測がしにくい種類の仕事です。

雑用、急場しのぎ、使い走りや修理、運転手や配送係などなど。

こまごましていますが急に、そして時と場合を問わず必要になるものです。

稼ぎは、かき集めても食べていくので精一杯といったところでしょうか。

 
覚悟はできていますか?

私たちが全速力で突っ走る先に待つのは、こんな世界に他ならないのです。
配車サービスのウーバーの運転手、即時配達を謳うインスタカートの利用者、

空き部屋を貸し出すエアビーアンドビーの部屋の貸主がこういった人々にあたります。

仕事仲介サービスのタスクラビットで仕事を探す人、アップカウンセルのオンデマンド弁護士、

そしてヘルスタップのオンライン・ドクターも含めていいでしょう。
このような人たちのことをメカニカル・タークと言います。
やんわりと言えば、「共有型」経済ということになります。

ですがより正確には、「残りカス共有型」経済と言うべきでしょう。
ほぼどんな仕事でも、様々なタスクに切り分けて必要なときだけ外注に任せるということが、

最新のソフトウェア技術をもってすれば可能です。

報酬額はその仕事の、そのときどきの需給バランスで決まります。

また、労働力を求める顧客側と供給する労働者側のマッチングはオンラインで行われます。

労働者は、仕事の質と信頼度の良し悪しについて評価付けされます。
利益の大方はソフトウェアを所有する企業に行き、

オンデマンド労働者に押し付けられるのは、残りカスばかりとなるのです。
アマゾンの「メカニカル・ターク」を見てみましょう。

アマゾンは「人間の知性が活かせる仕事のための労働マーケット」とうたっています。

 

ですが実際のところは、インターネット求人掲示板なのですが、

頭など使う余地もない退屈極まりない小口の雑用仕事を、

極小の報酬で募集するものばかりなのです。

 

確かに、コンピューターにはこれらの仕事をこなすことはできません。

どの仕事にも最低限ではありますが、一定の判断能力が求められるからです。

そこで人間の出番となり、雀の涙ほどの報酬のために労働するのです。

例えば、3ドルで製品の説明書を書くとか、

30セントで何枚かある写真のうちからベストのものを選ぶとか、

50セントで手書きの文字を解読するとかそのような仕事です。
取引が成立するたびに、アマゾンが分け前をごっそり持っていきます。

30年前に、正社員のものだった仕事が

企業側による判断で、契約社員、個人事業主、

フリーランスやコンサルタントに割り振られるようになり始めましたが、

現代の我々が直面する現状は、これの当然の帰結と言えます。
これは、リスクや不確定要素を労働者に課すものだったのです。

計画以上の時間を要する可能性があり、想定外のストレスを生むかもしれない仕事を、

労働者側に負わせるためのものだったのです。
さらには最低賃金基準、労働時間、労働条件を規定する労働法を回避するためのものでした。

労働法こそは、労働者が団結し賃金や手当の向上のために交渉する根拠となっていのです。
ですが、現代のオンデマンド労働はリスクの一切を労働者側に押し付けます。

あらゆる最低基準を完全にないがしろにするものなのです。
結果として、オンデマンド労働は19世紀的な出来高賃金制の労働への逆行と言えます。

19世紀、労働者たちは力を削がれ、法的権利もなく、あらゆるリスクを負わされて、

無給とも言えるような状態で働きづめに働いていたのです。

Uber in Beijing
ウーバーの運転手は自分自身の車を使用し、必要となれば自分の保険を使い、

働きたいだけあるいは働けるだけ働き、ウーバーにはたんまりと上前を献上します。

一方、労働者の安全だとか社会保証とかは、

ウーバーに言わせれば「雇用者ではないから責任はない」ということになるのです。
アマゾンのメカニカル・タークの利用者たちの報酬は、小銭と言ってしまえるほどの金額です。

誇張ではありません。

最低賃金?

残業代は5割り増し?

アマゾンは、売り手と買い手を結びつけているだけで、それらの責任は負わないと言っているのです。
オンデマンド労働を擁護する人たちは、そのフレキシブルであることを強調します。

労働者は好きな時間に自分の都合で働くことができ、

カレンダーの閑散時を有効利用できるというのです。
「人々が閑散時をマネタイズ出来るようになっている」と、

ニューヨーク大学ビジネススクールのアルン・サンダララジャン教授は言います。
ですが、この議論では、「閑散時」と本来の休息のための時間が混同されています。
1日24時間に変わりはありません。

「閑散時」が労働時間に変わり、その労働時間が、先が読みにくく低賃金のものだった場合、

労働者個人の人間関係や家族、健康は影響を受けはしないでしょうか?

Day 313 / 365 - BBC iPlayer
オンデマンド労働を支持する人は、また、最近の研究結果を持ち出して見せます。

ウーバーが行った研究では、ウーバーの労働者たちは「幸せである」という結果が出ているというのです。
では、仕事の賃金がより高く時間が安定していたなら、

労働者たちの幸福度はさらに上がりはしないでしょうか?
中間層所得が30年にわたって伸び悩み、

経済的収益はほぼ全てがトップ層に吸い上げられてしまうような経済においては、

手頃な副収入を得られる機会は実に魅力的に映るでしょう。
ですが、だからといってその副業が、実際に好条件であることを意味する訳ではありません。

本業の方がどれだけ悪条件であったかを示すに過ぎないのです。
擁護派はさらに指摘します。

オンデマンド労働が拡大するにしたがって、労働者たちは互いに集まってギルド的な集団を形成し、

グループ保険や社会保障を購入するようになるだろうというのです。
ですが、注目すべきは、オンデマンド労働者たちがその交渉力を

報酬改善や労働時間の安定のために用いていないことです。

そうなると、これは労働組合を意味し、

ウーバーやアマゾンとその他のオンデマンド企業は歓迎しないでしょう。
経済学者の中には、人々の労働力の効率的利用に資するということで、

オンデマンド労働を賞賛する人たちもいます。
しかし、我々が向き合う最大の経済学的課題は、人々の効率的利用などではありません。

仕事と、仕事から得られる利益の適切な配分こそが課題なのです。
この適正配分という物差しの上では、残りカス共有型経済は、

私たちを一気に退化せしめているのです。

 

著者:Robert Reich 経済学者、文筆家

おもな著書に『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ21世紀資本主義のイメージ』


元記事:http://www.alternet.org/robert-reich-why-work-turning-nightmare

(翻訳:角田 健)