なぜブランソンは航空会社を設立したのか?
ヴァージン・グループの創設者にして会長、 常にさまざまな話題をふりまくサー・リチャード・ブランソン。
そんな彼がヴァージン・アトランティック航空を設立したきっかけは、意外な出来事でした。
30年前、リチャード・ブランソンはヴァージン・アトランティック航空を設立しました。そもそもどうして彼は航空産業に参入しようと決意したのでしょうか?
HP Matterが作成したビデオの中で、ブランソンはその理由を明らかにしています。
ことの始まりは、英領ヴァージン諸島に行く途中、 プエルトリコで立ち往生したことです。航空会社は、乗客数が足りないからフライトをキャンセルする、 と言ってきたのです。
「ちょうど私は美しい女性をそこに待たせていたんです。飛行機を一機、借りることに決めました。ついでに黒板も借りて、ジョークのつもりで『ヴァージン・エアライン』と書いたんです。片道39ドル、ともね。そうして同じように予約を取り消しにされた乗客の間を回ったんです。するとどうでしょう、私の1号機は満席になったんです」
以来リチャードは、乗客のことを考えない航空会社に心底うんざりするようになり、このままではいけないと思ったのでした。そこでボーイング社に電話をかけ、 747sが売りに出ていないかどうか尋ねてみたのです。新しい航空会社はこのようないきさつで誕生しました。
ブランソンは言います。
「私たちは、競合する航空会社とはちがう、何か特別なものを始めようと思っていました」
ヴァージン航空は、いまなお「特別」です。何時間にもおよぶフライトで、乗客に窮屈な思いをさせる航空会社が多い中で、ヴァージン航空はもっと快適な旅を提供しています。
1991年、すべてのクラスで、チャンネルの選択が可能な ひとり向けのTVスクリーンを提供したのは、
ヴァージン・アトランティックが最初でした。
もともとは娯楽産業への参入からスタートしたリチャードでしたが、
航空産業に参入していったのも運命だったのかもしれません。
母親のイブは1940年代、スチュワーデスだったし、
彼の叔父は第二次世界大戦中スピットファイアに乗っており、
撃墜されたものの、無事、生還を遂げたのです。
―Virgin Travel
元記事:http://bit.ly/1MMFyx4
(翻訳:服部聡子)