仕事が悪夢に変わる理由
by ロバート・ライシュ
2014年、オックスフォード大学より出された「10年後多くの職業がコンピュータに取って替わられ、
現在の仕事は半減する」という予測は、大きな衝撃を巻き起こしました。
コンピューターに職を奪われた人間はどうしたら良いのか?
そんな危機感に対する答えのひとつが、「共有型経済(またはシェアリング・エコノミー)」です。
インターネットを活用して、車や部屋の所有者が、それを求めている人と直接交渉し、空いた施設や時間を活用しよう。
「所有」→「共有」へと意識転換を図ることによって、仕事が減少しても人々が幸せになれるような社会を築こう……
そうした理想を掲げる「共有型経済」に対し、本稿の著者、ライシュは厳しい現実をつきつけています。
「共有型」経済は残りカスの共有
パターンが定まった仕事はプログラムされたロボットが何でもこなし、
利益の全てはロボットの持ち主が吸い上げる、
そんな経済が支配する世界に住むというのはどんなものでしょうか?
そのような世界で人間が取り組むのは、パターンが定まっておらず予測がしにくい種類の仕事です。
雑用、急場しのぎ、使い走りや修理、運転手や配送係などなど。
こまごましていますが急に、そして時と場合を問わず必要になるものです。
稼ぎは、かき集めても食べていくので精一杯といったところでしょうか。
覚悟はできていますか?
私たちが全速力で突っ走る先に待つのは、こんな世界に他ならないのです。
配車サービスのウーバーの運転手、即時配達を謳うインスタカートの利用者、
空き部屋を貸し出すエアビーアンドビーの部屋の貸主がこういった人々にあたります。
仕事仲介サービスのタスクラビットで仕事を探す人、アップカウンセルのオンデマンド弁護士、
そしてヘルスタップのオンライン・ドクターも含めていいでしょう。
このような人たちのことをメカニカル・タークと言います。
やんわりと言えば、「共有型」経済ということになります。
ですがより正確には、「残りカス共有型」経済と言うべきでしょう。
ほぼどんな仕事でも、様々なタスクに切り分けて必要なときだけ外注に任せるということが、
最新のソフトウェア技術をもってすれば可能です。
報酬額はその仕事の、そのときどきの需給バランスで決まります。
また、労働力を求める顧客側と供給する労働者側のマッチングはオンラインで行われます。
労働者は、仕事の質と信頼度の良し悪しについて評価付けされます。
利益の大方はソフトウェアを所有する企業に行き、
オンデマンド労働者に押し付けられるのは、残りカスばかりとなるのです。
アマゾンの「メカニカル・ターク」を見てみましょう。
アマゾンは「人間の知性が活かせる仕事のための労働マーケット」とうたっています。
ですが実際のところは、インターネット求人掲示板なのですが、
頭など使う余地もない退屈極まりない小口の雑用仕事を、
極小の報酬で募集するものばかりなのです。
確かに、コンピューターにはこれらの仕事をこなすことはできません。
どの仕事にも最低限ではありますが、一定の判断能力が求められるからです。
そこで人間の出番となり、雀の涙ほどの報酬のために労働するのです。
例えば、3ドルで製品の説明書を書くとか、
30セントで何枚かある写真のうちからベストのものを選ぶとか、
50セントで手書きの文字を解読するとかそのような仕事です。
取引が成立するたびに、アマゾンが分け前をごっそり持っていきます。
30年前に、正社員のものだった仕事が
企業側による判断で、契約社員、個人事業主、
フリーランスやコンサルタントに割り振られるようになり始めましたが、
現代の我々が直面する現状は、これの当然の帰結と言えます。
これは、リスクや不確定要素を労働者に課すものだったのです。
計画以上の時間を要する可能性があり、想定外のストレスを生むかもしれない仕事を、
労働者側に負わせるためのものだったのです。
さらには最低賃金基準、労働時間、労働条件を規定する労働法を回避するためのものでした。
労働法こそは、労働者が団結し賃金や手当の向上のために交渉する根拠となっていのです。
ですが、現代のオンデマンド労働はリスクの一切を労働者側に押し付けます。
あらゆる最低基準を完全にないがしろにするものなのです。
結果として、オンデマンド労働は19世紀的な出来高賃金制の労働への逆行と言えます。
19世紀、労働者たちは力を削がれ、法的権利もなく、あらゆるリスクを負わされて、
無給とも言えるような状態で働きづめに働いていたのです。
ウーバーの運転手は自分自身の車を使用し、必要となれば自分の保険を使い、
働きたいだけあるいは働けるだけ働き、ウーバーにはたんまりと上前を献上します。
一方、労働者の安全だとか社会保証とかは、
ウーバーに言わせれば「雇用者ではないから責任はない」ということになるのです。
アマゾンのメカニカル・タークの利用者たちの報酬は、小銭と言ってしまえるほどの金額です。
誇張ではありません。
最低賃金?
残業代は5割り増し?
アマゾンは、売り手と買い手を結びつけているだけで、それらの責任は負わないと言っているのです。
オンデマンド労働を擁護する人たちは、そのフレキシブルであることを強調します。
労働者は好きな時間に自分の都合で働くことができ、
カレンダーの閑散時を有効利用できるというのです。
「人々が閑散時をマネタイズ出来るようになっている」と、
ニューヨーク大学ビジネススクールのアルン・サンダララジャン教授は言います。
ですが、この議論では、「閑散時」と本来の休息のための時間が混同されています。
1日24時間に変わりはありません。
「閑散時」が労働時間に変わり、その労働時間が、先が読みにくく低賃金のものだった場合、
労働者個人の人間関係や家族、健康は影響を受けはしないでしょうか?
オンデマンド労働を支持する人は、また、最近の研究結果を持ち出して見せます。
ウーバーが行った研究では、ウーバーの労働者たちは「幸せである」という結果が出ているというのです。
では、仕事の賃金がより高く時間が安定していたなら、
労働者たちの幸福度はさらに上がりはしないでしょうか?
中間層所得が30年にわたって伸び悩み、
経済的収益はほぼ全てがトップ層に吸い上げられてしまうような経済においては、
手頃な副収入を得られる機会は実に魅力的に映るでしょう。
ですが、だからといってその副業が、実際に好条件であることを意味する訳ではありません。
本業の方がどれだけ悪条件であったかを示すに過ぎないのです。
擁護派はさらに指摘します。
オンデマンド労働が拡大するにしたがって、労働者たちは互いに集まってギルド的な集団を形成し、
グループ保険や社会保障を購入するようになるだろうというのです。
ですが、注目すべきは、オンデマンド労働者たちがその交渉力を
報酬改善や労働時間の安定のために用いていないことです。
そうなると、これは労働組合を意味し、
ウーバーやアマゾンとその他のオンデマンド企業は歓迎しないでしょう。
経済学者の中には、人々の労働力の効率的利用に資するということで、
オンデマンド労働を賞賛する人たちもいます。
しかし、我々が向き合う最大の経済学的課題は、人々の効率的利用などではありません。
仕事と、仕事から得られる利益の適切な配分こそが課題なのです。
この適正配分という物差しの上では、残りカス共有型経済は、
私たちを一気に退化せしめているのです。
著者:Robert Reich 経済学者、文筆家
おもな著書に『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ21世紀資本主義のイメージ』
元記事:http://www.alternet.org/robert-reich-why-work-turning-nightmare
(翻訳:角田 健)