ジェイ・エイブラハムの卓越論から「共感」について説明してください

Q:ジェイ・エイブラハムさんは「共感」について、「人は本当にほしいものはわからないから、言葉にしてあげなければならない」と言っていますが本当にそうなのでしょうか。私は自分のほしいものは、教えてもらわなくてもわかっていると思いますが。

A.「ほしいもの」とは何か、ここで少し考えてみましょう。私たちが何かを「ほしい」と思うときの「ほしい」には2種類があります。喉がかわいて水が「ほしい」、疲れて休息が「ほしい」…
こうした「ほしい」は、私たちが生きていくために欠かせない欲求で、水を飲んだり、食べ物を食べたりして、満たすことができます。ところが私たちが食事をするときに求めているのは、飢えを満たすためだけではありません。おいしいものが食べたいとか、親しい人と楽しく食事がしたい、というように、生理的な欲求を満たすだけでは、満足できないものなのです。

私たちの社会は、一般的に「消費社会」と呼ばれています。
商品の売買は大昔からなされてきましたが、なぜあえて現代が「消費社会」と呼ばれているかというと、そこには理由があります。たとえば洗濯機は、衣類を洗う道具としてだけ購入されているのではありません。同時に「家庭の幸福」や「清潔感」あるいは「最先端の機能の付いたハイテクマシンを購入できる購買力のある人」というさまざまな役割を担って購入されます。「洗濯機」という「もの」が、「もの」としての機能を超えて意味を持ち、その意味が消費される社会だからこそ、「消費社会」と呼ばれているのです。

そんな消費社会に生きる私たちが抱く、コンピューターやスマートフォン、自動車や時計、服や装飾品に対する「ほしい」という欲求は、他者から認められる自分、「あんなにステキな服を着ている人」「あんなにカッコいい時計をはめている人」「あんなに高級な車に乗っている人」と見られたい、という欲求です。ところがこうした「他者からこんなふうに見られたい」という意識は、しばしば私たち自身の中で覆い隠されているのです。
こんな経験はないでしょうか?ブランド品を持つ人に聞くと、たいてい「ものがいいから」「長持ちするから」と言います。本当にそうなのでしょうか? 量販店で売られている商品の中にも、品質は決して劣らないものもたくさんあるのではないでしょうか?その人は本当は「ブランド品を持つ~な自分」と見られたいからなのではないでしょうか。

では、自分からさえ隠されている欲求を、どうして他人がうかがい知ることができるのか、と考えるかもしれません。ところがおもしろいことに、他者はそのことに気づけるのです。社会学者のジンメルは、こんなことを言っています。

私たちは、他者がすすんで明らかにするよりも、他者について多くのことを知っている。
しばしばその「多くのこと」は、それが知られていると本人が知れば、本人には都合が悪いことなのである。
(『社会学』第五章から大意を要約しています)

つまり、私たちのコミュニケーションというのは、「伝えたいこと」を超えて、「つい、伝わってしまう」という部分の方が大きいということなのです。そうして私たちが自分からも隠そうとしている「他者からこのように見られたい」という欲求も、他者には伝わってしまっていることが少なくないのです。

卓越論のいう「共感」とは

ジェイ・エイブラハムは、卓越論の基本的な柱に「クライアントの身になって深く考える」ということを置いています。クライアントが信頼できる相談者となること、「あなたの痛みは私の痛みです。あなたの問題は、誰よりもよくわかっていますよ」と示すことがきわめて大切である、と。

クライアントが自分からも隠している、心の底に秘められた欲求に気づき、言語化し(それを直接相手に告げるかどうかは、場合によるでしょう。むしろそのことは告げないことの方が良い場合が多いかもしれません)、解決方法を示してあげる。最新式の大型テレビをほしがっている人は、もしかしたら本当はテレビではなく、家族が集まってくれることなのかもしれません。だとしたら、最新型のテレビよりも、もっと良い提案があるのではないでしょうか。

ジェイ・エイブラハムのいう「共感」とは、そういうことなのです。


服部聡子(ShimaFuji IEM 翻訳チームリーダー)
出産・退職後、在宅で働ける資格を身につけるために翻訳を学び始める。
約5年フィクション/ノンフィクションの下訳、ウェブ・ライターを経て、
『限界はあなたの頭の中にしかない』に巡り合い、深い共感を覚え、弊社に。